『大日本史料』 7編 18 応永20年3月~同年12月 p.125

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騎、すはや城中の者共の自滅するそやとて、四方の軍勢一同にかつきつれてせめ上りしか, るかと、たかひに我人疑かひしか、四方の矢倉は堅固にふせきて恙もなし、寄手八千よ, め、閉門してこそ居られけれ、, 百余を切かけて、大將畠山をはしめて、諸軍こと故なく鎌倉に歸陣す、寄手の人數を損, の首尾何をもつてか取はやすへき事もなし、修理大夫は面目なく、しはらく出仕をとと, 共、懸田入道はさすかに老功武勇の者にて、すこしも騷かす、郎從に下知して張置たる, を、寄手の兵をひつめ〳〵、あるひは打ふせ切たをし、或はいけとりからめ取て、首三, 〓もなく、城は自滅に落て、大將を打漏しつる事を、持氏いと無興し給ひけれは、歸陣, せすして歸りしは、神妙なるに似たりといへ共、又永々の在陣に、さして仕出したる手, 粮を燒失なひ、とても此城を持とくへきにあらすとて、十二月廿一日ひそかに城を落う, 石弓を切て放つに、寄手そこはくこれに打れ、村〳〵に成て引しりそく、其間に火はす, せたり、松犬丸・懸田入道落うせける上は、軍兵みな思ひ〳〵に夜にまきれて落行所, てにしつまりぬ、寄手も重ねてすゝみえす、されとも城中には山のことくつみ置たる兵, 嵐に、造りならへし小屋とも、一時の間に燒にけり、いかさま城中に返忠の者のありけ, シテ落城ス, 持宗等遁走, 兵粮ヲ燒失, ス, 應永二十年四月十八日, 二五

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  • シテ落城ス
  • 持宗等遁走
  • 兵粮ヲ燒失

  • 應永二十年四月十八日

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  • 二五

注記 (20)

  • 1613,751,63,2244騎、すはや城中の者共の自滅するそやとて、四方の軍勢一同にかつきつれてせめ上りしか
  • 1728,756,63,2238るかと、たかひに我人疑かひしか、四方の矢倉は堅固にふせきて恙もなし、寄手八千よ
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