『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.1172

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て小田原の御陣營に至り、はしめて東照宮にまこえたてまつり、慶長五, 大夫氏康か女天正十八年四月二十八日父氏勝とおなしく、めしにより, して、彼諸城の番を勤む、十七年駿府にをいて死す、年三十九、法名常知、, けて氏勝か養子となり、其遺領を繼、, 四年の春、はしめて台徳院殿に拜〓す、, 陣のとき、氏勝とをなしく、松平左馬允忠頼と、のはる〳〵岡崎をよひ犬, 山龜山等の城に在番し、のち、氏勝病により、繁廣これに代り、忠頼と交代, 年、上杉景勝御征伐のとき、父と共に供奉し、小山にいたる、この年、關原御, 貞享及ひ今の呈譜に、慶長十六年三月、東照宮洛にのほらせたもふの, 城遠江國濱松にあり、慶長十三年の冬、東照宮の仰により江戸に來り、十, 十六年、兩御所の鈎命をう, とき、繁廣も供奉に列し、かの地にあるの中父氏勝卒す、家臣堀内靱負, 繁廣北條左衞門大夫氏勝か養子、實は常陸介氏繁か四男、母は北條左京, 〔寛政重修諸家譜), 北條繁廣, 正房, -女子, 慶長十六年三月二十四日, 安房守、從五位下、, 初氏長、梅千代、新藏、, 新藏、新, 五百, 左衞門, 勝ヲ佐倉城主トナスハ誤ナラン、, 〓下略、本書及ビ寛永諸家系圖傳、氏, 五歳、, 時に十, 十七年繋, 廣駿府ニ, 死ス, 一一七二

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  • 安房守、從五位下、
  • 初氏長、梅千代、新藏、
  • 新藏、新
  • 五百
  • 左衞門
  • 勝ヲ佐倉城主トナスハ誤ナラン、
  • 〓下略、本書及ビ寛永諸家系圖傳、氏
  • 五歳、
  • 時に十

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  • 十七年繋
  • 廣駿府ニ
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  • 一一七二

注記 (31)

  • 898,708,69,2150て小田原の御陣營に至り、はしめて東照宮にまこえたてまつり、慶長五
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