『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.309

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ひ正勝に分ちたまはる、慶長八年五月八日死す、年七十五、, 赴く、此とき定勝か妻子を扶助せられ、從者のうち、先途を見屆すして逐, 法名, き、定勝御媒となる、十八年北條家沒落のとき、氏直にしたかひ高野山に, 天正十年、東照宮北條家と御和睦のゝち、督姫君氏直に嫁したまふのと, 十九年氏直卒するの後、井伊兵部少輔直政をして、定勝をめされ、七月十, 定勝、山角四郎左衞門定吉か三男、母は某氏、北條氏政及ひ氏直につかへ, 電せしものあらは、成敗を加へらるべき旨、東照宮より御書をたまはる、, し、勝重にいたるまて葬地とす、妻は朝比奈氏か女、後ハ朝倉右京亮某か, 五日、相模國のうちにをいて、釆地千二百石を賜ふ、しかりといへとも、年, 宗覺、釆地相模國愛甲郡酒井村の法雲寺に葬る、後、三田の正泉寺に改葬, 女子, 老たるにより、恩免ありて仕へ奉らす、後、此釆地を男政定、盛繁、長定をよ, 長定文右衞門、, 盛繁, 政定刑部左衞問、正勝, 慶長八年五月八日, 松田六郎左衞, 次郎右衞門, 百十郎、内記、, 門定勝か妻, 今の呈譜, 八十三, 部左衞門, 又兵衞、刑, 紀伊、今の呈譜、政, 刑部左衞門、, 〓まかと, 三〇九

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  • 松田六郎左衞
  • 次郎右衞門
  • 百十郎、内記、
  • 門定勝か妻
  • 今の呈譜
  • 八十三
  • 部左衞門
  • 又兵衞、刑
  • 紀伊、今の呈譜、政
  • 刑部左衞門、

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  • 〓まかと

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  • 三〇九

注記 (29)

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