『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.265

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武藤喜兵衞と稱す、兄信綱戰死のゝち、其遺跡を繼、, 領する沼田の地を、氏直にあたふへしと仰下さる、昌幸こたへて、沼田き, 國に發向するの時、蘆田右衞門佐信蕃とおなしく、仰をうけたまはりて, 信濃國上田城を賜ひ、十三年、東照宮より、昌幸かもとに御つかひありて、, セ、天正十年、武田家沒落のゝち、東照宮に屬したてまつり、北條氏直甲斐, けきに上野國をして、氏直か領地たるへきむねを約せしにより、昌幸か, 年、東照宮甲斐國にいらせたまひ、國中の法制を定めらるゝのとき、本領, 碓氷嶽に陣し、北條か粮道をたつ、これによりて氏直終に和をこふ、十一, 昌幸母き某氏、天文十四年、信濃國に生る、武田信玄をよひ勝頼につかへ、, 慶長十六年六月四日, 〓親内匠、母は某氏、三男孫七郎信親かとき、別に家を興し、其男藏人信弘、, 女子母は某氏、妻木彦右衞門重直か妻、, 女子母は某氏、眞田長兵衞幸政か妻、, 月、三河長篠役ニ戰死, ○下, ○信綱ハ、天正三年五, サレシコト、十四年九月ニ本條アリ、, 略, 左馬助、○信勝、戸田勝興ノ爲メニ殺, 信勝, 宗家の養子となるにより家たゆ、, 賜ハル, ノ所領沼, 上田城ヲ, 家康昌幸, 初メ家康, ニ屬ス, 昌幸ノ事, 田城ヲ北, 蹟, 二六五

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  • 月、三河長篠役ニ戰死
  • ○下
  • ○信綱ハ、天正三年五
  • サレシコト、十四年九月ニ本條アリ、
  • 左馬助、○信勝、戸田勝興ノ爲メニ殺
  • 信勝
  • 宗家の養子となるにより家たゆ、

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  • 賜ハル
  • ノ所領沼
  • 上田城ヲ
  • 家康昌幸
  • 初メ家康
  • ニ屬ス
  • 昌幸ノ事
  • 田城ヲ北

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  • 二六五

注記 (31)

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