『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.267

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るうへにも猶入らむとならは、りれみつから幼兒を刺殺し、その身も亦, 田を過るにより、かの城にいらんとせしに、信之か室、城中より使して、昌, 原の役に、昌幸、前田利家、上杉景勝等とおなしく東國に會して、所々の城, ゐて供奉に列し、下野國宇都宮にいたる、このとき上方にをいて、石田三, 自殺して、忽ち城に火を放つへしといひをくり、家臣をして嚴しく城中, 上田城にいたりて三成か援兵をなす、このときにあたり、台徳院殿、上杉, をせむ、北條家沒落のゝち、ぬたゝひ沼田の地を領し、男信之をしてこれ, 成叛逆のきこへありしかは、昌幸俄に志を變して三成にくみし、二男信, に居らしむ、慶長五年、台徳院殿、上杉景勝御征伐のとき、男信之、信繁を率, 閤に訴へしかは、大にいかり、北條父子征伐の事を議せらる、十八年、小田, して、昌幸か領する上野國奈久留美城を襲ひとるにより、昌幸これを太, 繋をともなひ、同國小山坂戸を經て上田城に籠らむとす、ときに、みち沼, を警固をしむ、これにより、昌幸城に入ることを得す、終にこの地を去り、, 況城中に入む事おもひもよらす、はやくこの地をさりたまふへし、しか, 幸かもとに告ていはく、今父子別心のうへは、まみゆることなりかたし、, 落後再ビ, 沼田ヲ領, 關ケ原ノ, 北條氏沒, 役三成二, 黨ス, ス, 慶長十六年六月四日, 二六七

頭注

  • 落後再ビ
  • 沼田ヲ領
  • 關ケ原ノ
  • 北條氏沒
  • 役三成二
  • 黨ス

  • 慶長十六年六月四日

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  • 二六七

注記 (24)

  • 599,707,60,2140るうへにも猶入らむとならは、りれみつから幼兒を刺殺し、その身も亦
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