『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.922

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且東照宮の援兵をこひたてまつらむとはろな、家臣奧平次左衞門勝吉, はしかしとこたふ、信昌やむ〓を得すしあ、しからは某ひとり腹切て、諸, をためて遠卷す、味方もまた討死手負多く、兵粮も亦乏しく、四五日の貯, を出む〓かなひかたかるへし、若又遁れ出むにも、事すてに急なり、後詰, 遲滯に及はゝ、運を開きかたろるへし、〓く出て、こゝ法よく討死せむに, 拂ふ、はしめより乃戰ひに、敵しは〳〵利を失ひしにより、しはらく合戰, き、水練達せしにより、これをして使たらしめむとすといへとも、其出城, 卒を助く〓しといふ、この時、家臣鳥居強右衞門勝商すゝみ出て、某あか, 輩死傷八百餘人に及ふ、これによりて敵昧爽に兵をおさめでけ〓、十四, のゝち、もし落城に及はゝ、末代あて乃恥辱なりと〓う〓かはす、其餘の, りむかはんとて、則貞能に贈なところ乃書を齎し、この夜約を定めて城, 士も、敢てこれを諾すぬもの羽く、各言葉をおなしうして、とてもこの圍, 日、武田勢また渡合乃門をかこむ、信昌等城をいてゝ防き戰ひ、これを追, に過す、こゝにをいて信昌、諸士を集め、これら乃を父貞能か許につを、, をし乃ひ出て、潜に瀧川をこ、十五日の未明に、長篠城乃むかひの山イ, 元和元年三月十四日, ニ請フ, 援ヲ家康, 鳥居勝商, ノ忠勇, 元和元年三月十四日, 九二二

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  • ニ請フ
  • 援ヲ家康
  • 鳥居勝商
  • ノ忠勇

  • 元和元年三月十四日

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  • 九二二

注記 (22)

  • 1198,687,62,2148且東照宮の援兵をこひたてまつらむとはろな、家臣奧平次左衞門勝吉
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