『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.42

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によれり、このとき忠世、源助を使として濱松にたてまつり、戰の状をつけ、且忠世馬, 將筑摩川に兵を出さは、某は岡部長盛・松平康國・諏訪頼忠と兵を合せ、禰津原に敵を, わたり彼か後を遮りうたは、城に入事あたはしと、則使を元忠・親吉か陣にはせて、こ, 信濃の兵をひきゐて丸子の城を攻へしとて、筑摩川をわたり、八重原にいつ、昌幸これ, 集りて、三百餘人にをよふ、忠世おもへらく、昌幸今城をはなれてこゝにあり、我川を, て退く、忠世怒ていはく、我兵たらさるかゆへに籠中の鳥をにかしたりと、これより八, を乘殺たり、願くは御馬をたまはらむ事をとこひたてまつりしかは、則御書を下され、, て止む、昌幸も兵を引て城中にいる、昌幸か川をわたらさるは、忠世か川端に備を設る, を見て、海野町をいて手白塚に陣を取、忠世康忠をして元忠・親吉か陣につかはし、二, のよしをつけ、某か跡より川をわたさるへしといふ、兩將肯せす、忠世手をむなしくし, 實・松井孫一郎某、丸子河原の戰に、敵陣にせまり首級をえし功を賞せらる、, 重原に兵を備へ、敵の隙をうかゝふ、二十八日御書を忠世に下され、家臣金澤杉千代正, 追出して、悉討取へしといふ、元忠・親吉またこれにしたかはす、往反の間昌幸兵を引, 馬をたまひ、源助にもその功を賞せられて、黄金をたまふ、三日忠世柴田康忠とゝもに、, ヲ賜フ, 家康ヨリ馬, 八重原ニ出, 天正十三年閏八月二日, 四二

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  • ヲ賜フ
  • 家康ヨリ馬
  • 八重原ニ出

  • 天正十三年閏八月二日

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  • 四二

注記 (19)

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