『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.36

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元龜三年、大權現と武田信玄遠州三方原, に告たてまつりていはく、我つねに遇する味方の諸將と相約し、をの〳〵その退散すると, かけたり、敵軍騷動す、俗これを夜込といふ、, へいらせたまふべし、大權現此旨に應したまひ、御旗三本忠世にくだし給ふ、忠世すなは, ころの軍士を引ひて、一所にあひあつまるべきのむねなり、大權現はすみやかに濱松の城, 元龜三年、三方原合戰の時、康元十六歳, 〔寛永諸家系圖傳〕八松平康元, の夜信玄は犀〓の近邊に陣をとる、忠世もまた諸手の鐵炮をあつめて、信玄が旗本にうち, いへども、これをさへきり、鐵炮をはなつ、こゝにをひて敵これを追ふ事あたはす、そ, にをひて合戰のとき、忠世が兵士敵と相まじはり、槍をあはせ、敵の先鋒退散す、しかり, といへとも、大敵又競來るにより、味方利をうしなふ、忠世其後よりはせ來りて、大權現, し、敵陣をうちやふるゆへ、久次郎まぬかるゝ事を得たり、眞乘しつはらひして引しりそ, にて軍功あり、家臣金田靱負討死、其外士卒死し、きずつくものおふし、, ち犀〓の西にいたり、御旗を擧の時、あとより退來る軍士相あつまる、敵したひきたると, 大久保忠世, く、, 〔寛永諸家系圖傳〓, 松平三郎太, 郎、因幡守、, 衞門尉、, 七郎右, 九十, 三, 松平康元, 大久保忠世, 元龜三年十二月二十二日, 三六

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  • 松平三郎太
  • 郎、因幡守、
  • 衞門尉、
  • 七郎右
  • 九十

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  • 松平康元
  • 大久保忠世

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 三六

注記 (27)

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