『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.38

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く、これより旗本にゆかんとするに、敵すでに前をさへきり、大谷通より革田町に至る、, 爰にをひて味方六・七人來り、おなしく玄默口に至り、濱松の城門を守る、敵すでに至る, 同國豐田郡立野村の内三十貫、合せて百貫の地をたまふ、, ひきひて來、守綱兩人にかたりていはく、敵軍はおほうして、我はすくなし、もし戰はゞ, の大軍競來、爰にをひて味方敗走す、伯〓守少年の兵と只二騎にして退く、敵士是を追、, 勝利を得べからす、只けはしきによりてまたんにはしかし、しかりといへとも兩人先敵軍, 〔寛政重修諸家譜〕, 時、守綱かけ出る事二度、槍をもつてこれをつく、舍弟半十郎・勝谷甚五兵衞・櫻井庄介, を見て、たゞちにすゝまんとす、はたして敵軍のおほきをもつて味方敗北す、石川伯耆, 元龜三年十二月二十二日、味方原合, 伯耆守乘まはりて少年の兵をたすく、守綱是を見て言葉をかけ、力を合せてともにしり〓, 其首を取、後に鳥居彦右衞門台命をうけて此口をまもる、爰にをひて守綱大權現にま見, 守武田の先鋒を取ひしぐ時、外山小作一番に槍を合す、守綱わきより其敵をつき伏、武田, えたてまつる、すなはち軍事をとひたまふ、軍散じて後、遠州濱名郡吉美村の内七十貫、, 戰のとき、すゝみ來る敵と鎗をあはせ、終にこれを討て、男正成に其首をあたふ、御退口, 榊原正吉, 初忠綱、彦内、, 九右衞門, 千七, 十一, 與フ, 家康知行ヲ, 榊原正吉, 元龜三年十二月二十二日, 三八

割注

  • 初忠綱、彦内、
  • 九右衞門
  • 千七
  • 十一

頭注

  • 與フ
  • 家康知行ヲ
  • 榊原正吉

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 三八

注記 (25)

  • 1097,612,60,2265く、これより旗本にゆかんとするに、敵すでに前をさへきり、大谷通より革田町に至る、
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