『大日本史料』 12編 33 元和六年正月~同年六月 p.558

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て、すゝちに其首を得たり、乃ち首實檢の座にて、先に先陣敗北にをよひ、, をすまひ、そのゝち同郡の内にして、三十貫文の地をくはへらる、十二年, 一方の軍士死傷する者おネかりしに、一方乃士卒は恙なろりし事、こも, 守綱ひとり蹈とゝまり、鎗をましへて、よく防きしゆへなりと仰あり、こ, きより世人、鎗半藏と稱す、そのゝち同國小坂井合戰にも、守綱魁して高, とおもひ、きかすして馳すゝみ、鎗を合す、このとき敵堤乃上より横しま, 名あり、ときに近藤傳次郎某創をかう〓り、進退自由ならす、しかれとも, 綱も恩許ありて、父か遺跡を繼、三河國額田郡乃内にをいて、百貫文乃地, 正月、軍を出し、遠江國掛川城を攻しめたまふ、今川勢打多出、戰ひをい, ネくいきほひつよし、しはらくこれを避たしといふ、守綱己をたはかふ, 年、一向門徒に與し多、しは〳〵すゝかふといへとも、其黨赦免のとき、守, にここを〓、守綱創をかう〓り、蜂屋速かに來り、敵を防きて退かしむ、七, 諸人救ふ事を得さをを見す、守綱こま被肩にかけて退き、むろふ敵にあ, きに守綱群をぬきんてゝすゝまんとす、蜂屋半之丞某こきを見て、敵お, たつて、つゐに御油にいたる、六年、また吉田乃城兵等小坂井に出張す、と, 元和六年四月九日, 赦免, 三河小坂, 井ノ戰, 殿戰ノ功, 釘半藏ト, ヲ賞ス, ノ城攻, 家康守綱, ニ與ス, 呼ハル, 一向門徒, 遠江掛川, 五五八

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  • 赦免
  • 三河小坂
  • 井ノ戰
  • 殿戰ノ功
  • 釘半藏ト
  • ヲ賞ス
  • ノ城攻
  • 家康守綱
  • ニ與ス
  • 呼ハル
  • 一向門徒
  • 遠江掛川

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  • 五五八

注記 (29)

  • 1816,718,60,2114て、すゝちに其首を得たり、乃ち首實檢の座にて、先に先陣敗北にをよひ、
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