『大日本史料』 11編 6 天正12年3月 p.389

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從井上九左衞門, 大なりと壽、其後又井上と小笠原内藏助といふものを、秀吉の陣につかは, して、敵の躰をうかゝはしむ、二人のもの敵陳を見さためて歸る時、又敵一, 士岐定政, 敵一人を生捕て來る、定政これをみれは、頸に廻文をかけたり、定政その廻, かし外たまふ、是によりて敵のはかり〓こと〳〵りあらはる、定政か功を, 樂田、小口にたむろして對陣あり、定政敵のありをまをうかゝはんため、郎, りしよしを言上す、, 文を大權現へ獻す、いよ〳〵御感ありて、すなはち其囚をころし、廻文をや, により、三月、大權現尾州に御出馬ありて、小牧山に陣をはりたまふ、秀吉は, 年、秀吉、織田信雄をうたんため、尾州へ發向す、信雄すくひを大權現にこふ, 井上すなはちかれをに〓、是を大權現へ獻しけれは、大に御感あり、井上又, て是をうかゝへは、韋毛の馬にのりたるものはせ來る、はしり出て、鎧の草, 摺をにかんて引おとさんとしけれは、馬をとろきて、乘者たちまちにおつ、, ゆへまく人數をあく、正成かへりて、友重若年なから、其ぬるまひよこしか, をつのはす、井上堤の草にかとれ, 同十二, 〔寛永諸家系圖傳〕, 後釣命分よりて、土岐と稱本, 童名は愛菊、菅沼藤藏、山城守、, 定政譜ニハ、正祗トアリ, ○寛政重修諸家譜土岐, ト略, ○上, 三, 二十, 菅沼定政, 敵ノ使者, ヲ生捕ル, 天正十二年三月二十八日, 三八九

割注

  • 後釣命分よりて、土岐と稱本
  • 童名は愛菊、菅沼藤藏、山城守、
  • 定政譜ニハ、正祗トアリ
  • ○寛政重修諸家譜土岐
  • ト略
  • ○上
  • 二十

頭注

  • 菅沼定政
  • 敵ノ使者
  • ヲ生捕ル

  • 天正十二年三月二十八日

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  • 三八九

注記 (31)

  • 1220,617,58,480從井上九左衞門
  • 401,614,59,2199大なりと壽、其後又井上と小笠原内藏助といふものを、秀吉の陣につかは
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