『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.929

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牧乃御陣を守る、十四年、豐臣太閤と御和睦のゝち、信昌大坂城に乃ほり, て太閤に〓す、この時羽黒表の戰功比類なしと稱譽あり、且彼地合戰の, 役に供奉し、信昌後軍〓り、八月、關東に入せたまふの時、上野國甘樂郡小, の御脇指及ひ金にて葵の御紋彫たな御小柄等をたがはり、加藤喜内景, りとて、御〓をたまふ、四月八日、長久手に御發向のとき、忠次とゝもに小, 藤き、十七歳にしな首二級を得て、御前に出なのところ、何者なりと仰あ, 矜らさなを感をらる、十六年、從五位下美作守に敍任す、十八年、小田原の, り、この役に信昌の戰功尤すく〓たなにより、御感ありて大一文字乃御, 次第をたつ手らる、信昌つふさにこれを告、もとより酒井忠次か指揮よ, 刀ををあひ、又家臣山田半之丞能興戰功ありしかは、御前にめさ〓、無銘, 謠初のとき着座をゆるさる、乃ち代々おなし、慶長五年九月、關原役に供, 幡領にして、三萬石の地をたあひ、宮崎乃城に住す、こきよりさき毎歳御, のゆかりあなをもつて虚譽を得しよしこたへ申せしかは、太閤其功に, りしとき、信昌か家臣なりとこたたをてあ〓な、少年乃はたらを奇特な, ろしきかいたすところにしし、をのれをさせる功なしといへとも、主君, 元和元年三月十四日, 戰功ヲ褒, ノ小牧ノ, 秀吉信昌, 戰功ヲ賞, 城ニ封ゼ, 上野宮崎, ソノ家臣, 信昌及ビ, セラル, ラル, 元和元年三月十四日, 九二九

頭注

  • 戰功ヲ褒
  • ノ小牧ノ
  • 秀吉信昌
  • 戰功ヲ賞
  • 城ニ封ゼ
  • 上野宮崎
  • ソノ家臣
  • 信昌及ビ
  • セラル
  • ラル

  • 元和元年三月十四日

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  • 九二九

注記 (28)

  • 1208,690,77,2145牧乃御陣を守る、十四年、豐臣太閤と御和睦のゝち、信昌大坂城に乃ほり
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