『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.520

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む、のち遺領を繼、, の谷の兜をたまふ、十七年, かひたてまつる、十年四月、台徳院殿、將軍宣下御拜賀のとき、供奉をつと, このとき、居城を美濃國高洲にうつさる、これよりさき、台徳院殿より一, 軍功をしるさしめらる、これ其功他にこゆるかゆへなり、のち、美濃國の, 凱旋の後、仰をうけたまはりて、井伊直政、本多正信等に加はりて、諸士の, か開基せしところなり、室は三上氏の女, を征伐したまふのとき、父とおれしく小山に供奉し、關原の役にもした, む、三成とらはれて後、秀氏降を乞、こゝにをいて、壽昌其城をうけとり、御, とき、證人となり、池田輝政か居城三河國吉田に至る, 不破、石津、尾張國海西四郡のうちにをいて、すへて五萬六百石餘を領す、, 昌成徳永式部卿壽昌か二男、母は三上氏の女、慶長五年、石田三成謀叛の, うちにをいて、二萬石を加増あり、尾張國の領知を改められ、美濃國多藝、, 七月十日、高洲にをいて卒す、年六十, 昌重母は三上氏の女、天正八年、越前國に生る、慶長五年、東照宮、上杉景勝, 桂巖壽昌廣徳院と號す、高洲の廣徳寺に葬る、廣徳寺は壽昌, 九年五月、めさ, 慶長十六年七月十日, 四, 今の呈譜, ○譜牒餘録後, 六歳, 今の呈譜, 十六年、, ○下, 編異事ナシ, 六十二、, 時二, 略, 葬ル, 廣徳寺ニ, 高須ニ移, 昌重, 五二〇

割注

  • 今の呈譜
  • ○譜牒餘録後
  • 六歳
  • 十六年、
  • ○下
  • 編異事ナシ
  • 六十二、
  • 時二

頭注

  • 葬ル
  • 廣徳寺ニ
  • 高須ニ移
  • 昌重

ノンブル

  • 五二〇

注記 (34)

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