Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
む、のち遺領を繼、, の谷の兜をたまふ、十七年, かひたてまつる、十年四月、台徳院殿、將軍宣下御拜賀のとき、供奉をつと, このとき、居城を美濃國高洲にうつさる、これよりさき、台徳院殿より一, 軍功をしるさしめらる、これ其功他にこゆるかゆへなり、のち、美濃國の, 凱旋の後、仰をうけたまはりて、井伊直政、本多正信等に加はりて、諸士の, か開基せしところなり、室は三上氏の女, を征伐したまふのとき、父とおれしく小山に供奉し、關原の役にもした, む、三成とらはれて後、秀氏降を乞、こゝにをいて、壽昌其城をうけとり、御, とき、證人となり、池田輝政か居城三河國吉田に至る, 不破、石津、尾張國海西四郡のうちにをいて、すへて五萬六百石餘を領す、, 昌成徳永式部卿壽昌か二男、母は三上氏の女、慶長五年、石田三成謀叛の, うちにをいて、二萬石を加増あり、尾張國の領知を改められ、美濃國多藝、, 七月十日、高洲にをいて卒す、年六十, 昌重母は三上氏の女、天正八年、越前國に生る、慶長五年、東照宮、上杉景勝, 桂巖壽昌廣徳院と號す、高洲の廣徳寺に葬る、廣徳寺は壽昌, 九年五月、めさ, 慶長十六年七月十日, 四, 今の呈譜, ○譜牒餘録後, 六歳, 今の呈譜, 十六年、, ○下, 編異事ナシ, 六十二、, 時二, 略, 葬ル, 廣徳寺ニ, 高須ニ移, 昌重, 五二〇
割注
- 今の呈譜
- ○譜牒餘録後
- 六歳
- 十六年、
- ○下
- 編異事ナシ
- 六十二、
- 時二
- 略
頭注
- 葬ル
- 廣徳寺ニ
- 高須ニ移
- 昌重
ノンブル
- 五二〇
注記 (34)
- 403,687,57,494む、のち遺領を繼、
- 1106,682,62,771の谷の兜をたまふ、十七年
- 523,689,66,2139かひたてまつる、十年四月、台徳院殿、將軍宣下御拜賀のとき、供奉をつと
- 1225,683,69,2119このとき、居城を美濃國高洲にうつさる、これよりさき、台徳院殿より一
- 1568,671,69,2142軍功をしるさしめらる、これ其功他にこゆるかゆへなり、のち、美濃國の
- 1683,668,68,2145凱旋の後、仰をうけたまはりて、井伊直政、本多正信等に加はりて、諸士の
- 873,689,64,1204か開基せしところなり、室は三上氏の女
- 637,681,69,2144を征伐したまふのとき、父とおれしく小山に供奉し、關原の役にもした
- 1799,674,69,2145む、三成とらはれて後、秀氏降を乞、こゝにをいて、壽昌其城をうけとり、御
- 167,696,65,1561とき、證人となり、池田輝政か居城三河國吉田に至る
- 1333,674,69,2161不破、石津、尾張國海西四郡のうちにをいて、すへて五萬六百石餘を領す、
- 285,612,71,2217昌成徳永式部卿壽昌か二男、母は三上氏の女、慶長五年、石田三成謀叛の
- 1453,676,67,2158うちにをいて、二萬石を加増あり、尾張國の領知を改められ、美濃國多藝、
- 1117,1755,59,1071七月十日、高洲にをいて卒す、年六十
- 753,606,74,2226昌重母は三上氏の女、天正八年、越前國に生る、慶長五年、東照宮、上杉景勝
- 993,1035,66,1791桂巖壽昌廣徳院と號す、高洲の廣徳寺に葬る、廣徳寺は壽昌
- 184,2411,54,422九年五月、めさ
- 1916,666,42,385慶長十六年七月十日
- 992,681,48,48四
- 1017,756,43,259今の呈譜
- 910,1908,44,403○譜牒餘録後
- 164,2283,44,113六歳
- 1142,1476,42,259今の呈譜
- 1098,1474,43,201十六年、
- 435,1197,41,109○下
- 865,1909,43,334編異事ナシ
- 972,760,42,198六十二、
- 212,2279,39,104時二
- 392,1194,40,39略
- 960,240,42,75葬ル
- 1006,240,42,160廣徳寺ニ
- 1239,238,44,173高須ニ移
- 749,243,45,87昌重
- 1927,2401,41,120五二〇







