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外記元芳、, 美作, 君は御智謀勇略衆に超玉ひ、西三河三分の一御手に屬し奉る、, 守家勝、, 八郎右衞門光央、, 修理亮親長、, 修理亮親正、, 次は親忠君及ひ昌龍、, 次郎左衞門光親、, 左京亮守家、, 御子四十八人、備中守親則、, 紀伊守光重、, 圖には、〓京亮、和泉守と載せ、松源大譜系には、源次郎、左京亮、和泉守と記し、官本三河記・徳川軍功記は、, 侍者安穩寺と記し、困幡守親直を子の系に係く、是等の書に據れは、昌龍は法號にして、此人早くより家を子にゆ, 光親, 卒後に、其名を用ひしもの歟、又水府本御系圖牧内の祖といふも、他書に證すへきものなし、但牧内は碧海郡の村名, 〓泉守と稱せしとのみありて、源次郎、左京亮の名を載せす、今寛永譜に從ふ、守家寶飯郡竹、谷城に住するにより、, ノ記、松源大譜系には、安穩寺住持と記し、子龍直は因幡守と稱し、法名相樹と記す、尊系略は昌親に作りて、, わり、遁世しして安穩〓に住せしく〓ゆ、然れとも其寺の所在考ふへからす、御馬村本長澤系圖には、昌龍・, 親直父子共に因幡守と記して、安穩寺に住せし事をいはす、おもふに此人出家せしにはあらすし、て法號を安〓寺, と記し、水府本御系圖には、牧内之祖と載す、兄親長も修理亮と稱し、親正弟にして、其名相同し、若くは兄親長か, 藏御系圖には、家絶といひ、大樹二寸藏御系圖には其事を載せす、, 寛永譜には、是を親忠君の御子に係く、水府本御系圖・本, て、傳は親忠君紀文明十七年七月十四日條にあり、, 松源大譜系には、勝家に作りて、源八郎、美作守と載せ、本多氏, 徳川正統記には、則定に作る、是五井松平の祖にし, 紀天文五年四月十五日條にあり、, 寛永新田嫡流譜には、此人を記さす、同書長澤松平の條には、, 多氏藏御系圖・徳川正統記・尊系略・清流記等又同し、甘, 舊記による、傳は東照宮紀天文廿一年三月廿三日卒去の條に記す、, り、今是を信光君の御長男とするは、, 備中守某を始祖として、其家の出る所詳ならさるよし載せた, 誤なるは、親忠君紀延徳, 能見松平の祖なり、傳は廣忠君, 既に寛正二年十一月一日條に辨す、, 寛水新田嫡流譜およひ其餘の書光英に作る、今三河國岩津村十王堂, しを、連綿録には、早世とありて、子の有無を記さゝるは諸記と異なり、, 此子孫を竹谷松平と稱すれとも、卒年諸書, 寛永新田嫡流譜、是を御長男の系にかく、是前の親則・親長を記さゝる, 二年正月廿三日條に辨す, 幡豆の四郡を東, 家せしといふ説を取らさるならん、但前の諸書は皆昌龍に子あるよし記廿, に見る所なけれは、其異同をこゝに辨す, 廿八日條, 系便覽には載せす、寛永譜は唯に昌龍との, にあり、, 大草松平祖なり、傳は, 大樹寺藏御系圖・本多氏藏御系圖・參松正, 親忠君紀明應三年十月, 三河と稱せり、, といへるを、後世諱の昌龍をもて法號と、安穩〓を〓職せし寺院の名とせしものにや、徳川正統記・柳營連綿, 故なり、又其名大樹〓藏御系圖には、初名源次郎と記し、本多氏藏御系, の四郡を指す、寶飯・八名・渥美・, 禾泉守と稱せしとのみありて、源次郎、左京亮の名を載せす、今寛永譜に從ふ、守家寶飯郡竹、谷城に住するにより, 本多氏藏御系圖には、, 修理進, み記し、松源大譜系には、安穩寺住持と記し、子龍直は因幡守と稱し、法名相樹と記す、尊系略は昌親に作りて、, 西三河は賀茂・額田・碧海・設樂, 元芳, 録も、尊系略と同しく、昌親に作り、正統記は三郎と記し、連綿録は源六郎と記したれは、此二書の如きは、出, と記し、水府本御系圖には、牧内之祖と載す、兄親長も修理亮と稱し、親正弟にして、其名相同し、若くは兄親長に, 侍者安穩寺と記し、困幡守親直を子の系に係く、是等の書に據れは、昌龍は法號にして、此人早くより家を子にゆ, 圖には、佐京亮、和泉守と載せ、松源大譜系には、源次郎、左京亮、和泉守と記し、官本三河記・徳川軍功記は、, 親直父子共に因幡守と記して、安穩寺に住せし事をいはす、おもふに此人出家せしにはあらすして、法號を安穩〓, 卒後に、其名を用ひしもの歟、又水府本御系圖牧内の祖といふも、他書に證すへきものなし、但牧内は碧海郡の村名, 修理進に作りて、家絶, 〇り、遁世して安穩〓に住せしく聞ゆ、然れとも其寺の所在考ふへからす、御馬村本長澤系圖には、昌龍, 圖い, 光央, 家勝, 録, 信光ノ子女, 親則, 親長, 昌龍, 守家, 親正, 〓鬻, 長享二年七月二十二日, 四八五
割注
- 藏御系圖には、家絶といひ、大樹二寸藏御系圖には其事を載せす、
- 寛永譜には、是を親忠君の御子に係く、水府本御系圖・本
- て、傳は親忠君紀文明十七年七月十四日條にあり、
- 松源大譜系には、勝家に作りて、源八郎、美作守と載せ、本多氏
- 徳川正統記には、則定に作る、是五井松平の祖にし
- 紀天文五年四月十五日條にあり、
- 寛永新田嫡流譜には、此人を記さす、同書長澤松平の條には、
- 多氏藏御系圖・徳川正統記・尊系略・清流記等又同し、甘
- 舊記による、傳は東照宮紀天文廿一年三月廿三日卒去の條に記す、
- り、今是を信光君の御長男とするは、
- 備中守某を始祖として、其家の出る所詳ならさるよし載せた
- 誤なるは、親忠君紀延徳
- 能見松平の祖なり、傳は廣忠君
- 既に寛正二年十一月一日條に辨す、
- 寛水新田嫡流譜およひ其餘の書光英に作る、今三河國岩津村十王堂
- しを、連綿録には、早世とありて、子の有無を記さゝるは諸記と異なり、
- 此子孫を竹谷松平と稱すれとも、卒年諸書
- 寛永新田嫡流譜、是を御長男の系にかく、是前の親則・親長を記さゝる
- 二年正月廿三日條に辨す
- 幡豆の四郡を東
- 家せしといふ説を取らさるならん、但前の諸書は皆昌龍に子あるよし記廿
- に見る所なけれは、其異同をこゝに辨す
- 廿八日條
- 系便覽には載せす、寛永譜は唯に昌龍との
- にあり、
- 大草松平祖なり、傳は
- 大樹寺藏御系圖・本多氏藏御系圖・參松正
- 親忠君紀明應三年十月
- 三河と稱せり、
- といへるを、後世諱の昌龍をもて法號と、安穩〓を〓職せし寺院の名とせしものにや、徳川正統記・柳營連綿
- 故なり、又其名大樹〓藏御系圖には、初名源次郎と記し、本多氏藏御系
- の四郡を指す、寶飯・八名・渥美・
- 禾泉守と稱せしとのみありて、源次郎、左京亮の名を載せす、今寛永譜に從ふ、守家寶飯郡竹、谷城に住するにより
- 本多氏藏御系圖には、
- 修理進
- み記し、松源大譜系には、安穩寺住持と記し、子龍直は因幡守と稱し、法名相樹と記す、尊系略は昌親に作りて、
- 西三河は賀茂・額田・碧海・設樂
- 元芳
- 録も、尊系略と同しく、昌親に作り、正統記は三郎と記し、連綿録は源六郎と記したれは、此二書の如きは、出
- と記し、水府本御系圖には、牧内之祖と載す、兄親長も修理亮と稱し、親正弟にして、其名相同し、若くは兄親長に
- 侍者安穩寺と記し、困幡守親直を子の系に係く、是等の書に據れは、昌龍は法號にして、此人早くより家を子にゆ
- 圖には、佐京亮、和泉守と載せ、松源大譜系には、源次郎、左京亮、和泉守と記し、官本三河記・徳川軍功記は、
- 親直父子共に因幡守と記して、安穩寺に住せし事をいはす、おもふに此人出家せしにはあらすして、法號を安穩〓
- 卒後に、其名を用ひしもの歟、又水府本御系圖牧内の祖といふも、他書に證すへきものなし、但牧内は碧海郡の村名
- 修理進に作りて、家絶
- 〇り、遁世して安穩〓に住せしく聞ゆ、然れとも其寺の所在考ふへからす、御馬村本長澤系圖には、昌龍
- 圖い
- 光央
- 家勝
- 録
頭注
- 信光ノ子女
- 親則
- 親長
- 昌龍
- 守家
- 親正
- 〓鬻
柱
- 長享二年七月二十二日
ノンブル
- 四八五
注記 (80)
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- 658,819,58,421八郎右衞門光央、
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