『大日本史料』 8編 22 長享2年5月~同年7月 p.485

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外記元芳、, 美作, 君は御智謀勇略衆に超玉ひ、西三河三分の一御手に屬し奉る、, 守家勝、, 八郎右衞門光央、, 修理亮親長、, 修理亮親正、, 次は親忠君及ひ昌龍、, 次郎左衞門光親、, 左京亮守家、, 御子四十八人、備中守親則、, 紀伊守光重、, 圖には、〓京亮、和泉守と載せ、松源大譜系には、源次郎、左京亮、和泉守と記し、官本三河記・徳川軍功記は、, 侍者安穩寺と記し、困幡守親直を子の系に係く、是等の書に據れは、昌龍は法號にして、此人早くより家を子にゆ, 光親, 卒後に、其名を用ひしもの歟、又水府本御系圖牧内の祖といふも、他書に證すへきものなし、但牧内は碧海郡の村名, 〓泉守と稱せしとのみありて、源次郎、左京亮の名を載せす、今寛永譜に從ふ、守家寶飯郡竹、谷城に住するにより、, ノ記、松源大譜系には、安穩寺住持と記し、子龍直は因幡守と稱し、法名相樹と記す、尊系略は昌親に作りて、, わり、遁世しして安穩〓に住せしく〓ゆ、然れとも其寺の所在考ふへからす、御馬村本長澤系圖には、昌龍・, 親直父子共に因幡守と記して、安穩寺に住せし事をいはす、おもふに此人出家せしにはあらすし、て法號を安〓寺, と記し、水府本御系圖には、牧内之祖と載す、兄親長も修理亮と稱し、親正弟にして、其名相同し、若くは兄親長か, 藏御系圖には、家絶といひ、大樹二寸藏御系圖には其事を載せす、, 寛永譜には、是を親忠君の御子に係く、水府本御系圖・本, て、傳は親忠君紀文明十七年七月十四日條にあり、, 松源大譜系には、勝家に作りて、源八郎、美作守と載せ、本多氏, 徳川正統記には、則定に作る、是五井松平の祖にし, 紀天文五年四月十五日條にあり、, 寛永新田嫡流譜には、此人を記さす、同書長澤松平の條には、, 多氏藏御系圖・徳川正統記・尊系略・清流記等又同し、甘, 舊記による、傳は東照宮紀天文廿一年三月廿三日卒去の條に記す、, り、今是を信光君の御長男とするは、, 備中守某を始祖として、其家の出る所詳ならさるよし載せた, 誤なるは、親忠君紀延徳, 能見松平の祖なり、傳は廣忠君, 既に寛正二年十一月一日條に辨す、, 寛水新田嫡流譜およひ其餘の書光英に作る、今三河國岩津村十王堂, しを、連綿録には、早世とありて、子の有無を記さゝるは諸記と異なり、, 此子孫を竹谷松平と稱すれとも、卒年諸書, 寛永新田嫡流譜、是を御長男の系にかく、是前の親則・親長を記さゝる, 二年正月廿三日條に辨す, 幡豆の四郡を東, 家せしといふ説を取らさるならん、但前の諸書は皆昌龍に子あるよし記廿, に見る所なけれは、其異同をこゝに辨す, 廿八日條, 系便覽には載せす、寛永譜は唯に昌龍との, にあり、, 大草松平祖なり、傳は, 大樹寺藏御系圖・本多氏藏御系圖・參松正, 親忠君紀明應三年十月, 三河と稱せり、, といへるを、後世諱の昌龍をもて法號と、安穩〓を〓職せし寺院の名とせしものにや、徳川正統記・柳營連綿, 故なり、又其名大樹〓藏御系圖には、初名源次郎と記し、本多氏藏御系, の四郡を指す、寶飯・八名・渥美・, 禾泉守と稱せしとのみありて、源次郎、左京亮の名を載せす、今寛永譜に從ふ、守家寶飯郡竹、谷城に住するにより, 本多氏藏御系圖には、, 修理進, み記し、松源大譜系には、安穩寺住持と記し、子龍直は因幡守と稱し、法名相樹と記す、尊系略は昌親に作りて、, 西三河は賀茂・額田・碧海・設樂, 元芳, 録も、尊系略と同しく、昌親に作り、正統記は三郎と記し、連綿録は源六郎と記したれは、此二書の如きは、出, と記し、水府本御系圖には、牧内之祖と載す、兄親長も修理亮と稱し、親正弟にして、其名相同し、若くは兄親長に, 侍者安穩寺と記し、困幡守親直を子の系に係く、是等の書に據れは、昌龍は法號にして、此人早くより家を子にゆ, 圖には、佐京亮、和泉守と載せ、松源大譜系には、源次郎、左京亮、和泉守と記し、官本三河記・徳川軍功記は、, 親直父子共に因幡守と記して、安穩寺に住せし事をいはす、おもふに此人出家せしにはあらすして、法號を安穩〓, 卒後に、其名を用ひしもの歟、又水府本御系圖牧内の祖といふも、他書に證すへきものなし、但牧内は碧海郡の村名, 修理進に作りて、家絶, 〇り、遁世して安穩〓に住せしく聞ゆ、然れとも其寺の所在考ふへからす、御馬村本長澤系圖には、昌龍, 圖い, 光央, 家勝, 録, 信光ノ子女, 親則, 親長, 昌龍, 守家, 親正, 〓鬻, 長享二年七月二十二日, 四八五

割注

  • 藏御系圖には、家絶といひ、大樹二寸藏御系圖には其事を載せす、
  • 寛永譜には、是を親忠君の御子に係く、水府本御系圖・本
  • て、傳は親忠君紀文明十七年七月十四日條にあり、
  • 松源大譜系には、勝家に作りて、源八郎、美作守と載せ、本多氏
  • 徳川正統記には、則定に作る、是五井松平の祖にし
  • 紀天文五年四月十五日條にあり、
  • 寛永新田嫡流譜には、此人を記さす、同書長澤松平の條には、
  • 多氏藏御系圖・徳川正統記・尊系略・清流記等又同し、甘
  • 舊記による、傳は東照宮紀天文廿一年三月廿三日卒去の條に記す、
  • り、今是を信光君の御長男とするは、
  • 備中守某を始祖として、其家の出る所詳ならさるよし載せた
  • 誤なるは、親忠君紀延徳
  • 能見松平の祖なり、傳は廣忠君
  • 既に寛正二年十一月一日條に辨す、
  • 寛水新田嫡流譜およひ其餘の書光英に作る、今三河國岩津村十王堂
  • しを、連綿録には、早世とありて、子の有無を記さゝるは諸記と異なり、
  • 此子孫を竹谷松平と稱すれとも、卒年諸書
  • 寛永新田嫡流譜、是を御長男の系にかく、是前の親則・親長を記さゝる
  • 二年正月廿三日條に辨す
  • 幡豆の四郡を東
  • 家せしといふ説を取らさるならん、但前の諸書は皆昌龍に子あるよし記廿
  • に見る所なけれは、其異同をこゝに辨す
  • 廿八日條
  • 系便覽には載せす、寛永譜は唯に昌龍との
  • にあり、
  • 大草松平祖なり、傳は
  • 大樹寺藏御系圖・本多氏藏御系圖・參松正
  • 親忠君紀明應三年十月
  • 三河と稱せり、
  • といへるを、後世諱の昌龍をもて法號と、安穩〓を〓職せし寺院の名とせしものにや、徳川正統記・柳營連綿
  • 故なり、又其名大樹〓藏御系圖には、初名源次郎と記し、本多氏藏御系
  • の四郡を指す、寶飯・八名・渥美・
  • 禾泉守と稱せしとのみありて、源次郎、左京亮の名を載せす、今寛永譜に從ふ、守家寶飯郡竹、谷城に住するにより
  • 本多氏藏御系圖には、
  • 修理進
  • み記し、松源大譜系には、安穩寺住持と記し、子龍直は因幡守と稱し、法名相樹と記す、尊系略は昌親に作りて、
  • 西三河は賀茂・額田・碧海・設樂
  • 元芳
  • 録も、尊系略と同しく、昌親に作り、正統記は三郎と記し、連綿録は源六郎と記したれは、此二書の如きは、出
  • と記し、水府本御系圖には、牧内之祖と載す、兄親長も修理亮と稱し、親正弟にして、其名相同し、若くは兄親長に
  • 侍者安穩寺と記し、困幡守親直を子の系に係く、是等の書に據れは、昌龍は法號にして、此人早くより家を子にゆ
  • 圖には、佐京亮、和泉守と載せ、松源大譜系には、源次郎、左京亮、和泉守と記し、官本三河記・徳川軍功記は、
  • 親直父子共に因幡守と記して、安穩寺に住せし事をいはす、おもふに此人出家せしにはあらすして、法號を安穩〓
  • 卒後に、其名を用ひしもの歟、又水府本御系圖牧内の祖といふも、他書に證すへきものなし、但牧内は碧海郡の村名
  • 修理進に作りて、家絶
  • 〇り、遁世して安穩〓に住せしく聞ゆ、然れとも其寺の所在考ふへからす、御馬村本長澤系圖には、昌龍
  • 圖い
  • 光央
  • 家勝

頭注

  • 信光ノ子女
  • 親則
  • 親長
  • 昌龍
  • 守家
  • 親正
  • 〓鬻

  • 長享二年七月二十二日

ノンブル

  • 四八五

注記 (80)

  • 643,2609,56,251外記元芳、
  • 525,2751,57,114美作
  • 1821,620,64,1571君は御智謀勇略衆に超玉ひ、西三河三分の一御手に屬し奉る、
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  • 658,819,58,421八郎右衞門光央、
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  • 414,2097,59,310修理亮親正、
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  • 1479,1134,55,313左京亮守家、
  • 1708,935,62,723御子四十八人、備中守親則、
  • 766,2101,57,308紀伊守光重、
  • 1377,630,57,2227圖には、〓京亮、和泉守と載せ、松源大譜系には、源次郎、左京亮、和泉守と記し、官本三河記・徳川軍功記は、
  • 1096,617,56,2245侍者安穩寺と記し、困幡守親直を子の系に係く、是等の書に據れは、昌龍は法號にして、此人早くより家を子にゆ
  • 578,236,43,84光親
  • 276,610,60,2242卒後に、其名を用ひしもの歟、又水府本御系圖牧内の祖といふも、他書に證すへきものなし、但牧内は碧海郡の村名
  • 1335,633,52,2228〓泉守と稱せしとのみありて、源次郎、左京亮の名を載せす、今寛永譜に從ふ、守家寶飯郡竹、谷城に住するにより、
  • 1144,620,56,2243ノ記、松源大譜系には、安穩寺住持と記し、子龍直は因幡守と稱し、法名相樹と記す、尊系略は昌親に作りて、
  • 1025,624,59,2231わり、遁世しして安穩〓に住せしく〓ゆ、然れとも其寺の所在考ふへからす、御馬村本長澤系圖には、昌龍・
  • 979,614,62,2247親直父子共に因幡守と記して、安穩寺に住せし事をいはす、おもふに此人出家せしにはあらすし、て法號を安〓寺
  • 323,617,56,2242と記し、水府本御系圖には、牧内之祖と載す、兄親長も修理亮と稱し、親正弟にして、其名相同し、若くは兄親長か
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