『大日本史料』 12編 49 元和八年十月~同年十一月 p.203

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○泰之弟泰尚ノコト、便宜左ニ合敍ス、, 〔藩鑑〕, となく卒しけるに、よつきなけれは家絶たり、, 左馬助藤原泰之は、左衞門尉泰親, 幾程なく卒しけるに、世嗣なければ家絶えたり、, 元和九年に松下石見守重綱に烏山の城賜りしといへば、, か城を守る、大坂前後の戰には、將軍家にしたかひて、首六十七切てたてまつる、いくほ, 一慶長五年、東西の軍一時に起りし時、泰之、我身は太田原城に陣とりて軍兵を引つけ、をの, 〔成田系圖〕, して嗣なかりしかは、其遺跡を相續す、かくて大坂前後の御陣に供奉し、元和八年死す、, 田が家亡びしにや、一説に成田後に上野の地を領せしとしるせる書もあり、凡そ此家の系, か二男なり、兄新十郎重長、慶長八年五月沒, て軍兵を引分け、おのが城を守る、大坂前後の戰には將軍家に隨ひて、首六十七切つて獻る、, 圖見ざれば悉しき事を知らず、諸記に見え侍りし所を合せ採りて大略をしるすなり、, 嗣子なかりしかは、所領の地を沒收せらる、, 其頃成, 元和八年十一月七日, ○重綱、下野烏山城ニ移封ノコ, 泰親は下總守氏, 十六, ト、九年三月是月ノ條ニ見ユ, 長か子なり, 享年を傳, 二百七, へす、, 譜, 藩幹, 元和八年十一月七日, 二〇三

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  • ○重綱、下野烏山城ニ移封ノコ
  • 泰親は下總守氏
  • 十六
  • ト、九年三月是月ノ條ニ見ユ
  • 長か子なり
  • 享年を傳
  • 二百七
  • へす、
  • 藩幹

  • 元和八年十一月七日

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  • 二〇三

注記 (29)

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