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成玉ふに依てなり、, これより先、長祿の頃より信光君の御舍弟松平遠江入道道慶、, 及ひ御子松平修理亮親長在京せらる、, 十三年辛丑四月、妙心寺天盈參内して勅願所たるへきの綸旨をたまはる、是信光君の執, 二年戊申七月廿二日、, 岩津の城をは松平修理亮親長にゆつりたまふ、, 信光君御逝去、御年八十五、崇出院殿, 道慶の子松平大炊助勝親, 三年は六十餘歳なるへく、其子大炊助勝親も、既に壯年の頃なるへし、又信光君は長享二年の御逝去なれは、松平, 江入道道慶、長祿三年洛の地買得せし事見えたれは、是より先、既に上京ありしなるへし、又其書に御當家御一族, 知る、且其年齡を推考するに、泰親君は、永享八年の御逝去なれは、道慶を泰親君御壯年の御子とせんには、長祿, のよしも見えされとも、松平氏にして、其名も御家の事を記せし書に載する所と符合すれは、聊疑ふへからさるを, 京の頃、父存生なりし故、大炊助と稱し、父歿して後、遠江守の名を用ひしにや、又正系圖には、初名次郎太郎とあり、, 上京往還の日次詳ならす、○中略, 御當家新田系圖・尊系略・松平正, 綸旨は廿二日に賜はりしなれとも、, 系圖等、泰親君の御子に係る所、, 本多氏所藏御系圖、三日とし、三, 所、其年月をもて分條すへけれとも、皆在京, 中の事に渉るをもてこゝに〓録す、○中略, 州龍海院過去帳、二月廿二日とす、, 光君御隱棲の後なれは、親忠君紀彼年の條に出す、あはせ見るへし、○中略, 記に見ゆ、安祥を親忠君に御讓りありしと、いつれか, 文明中の記にのみ見ゆ、中に就て九年及ひ十五年の記に、松平遠, 前後なる事詳ならす、姑くこゝにかく、又親長の卒去は延徳二年正月なり、信, 此事三河物語・徳川軍功記・御先祖記・御當家御代々, 此事は御當家の記録に絶て載せさる所にして、たノ政所賦銘引付, 御當家新, は、當時の記にして、其異同ある事如此なれは、恐らくは、其間に忌む所, 修理亮親長を御壯年の御子とせんに、長祿三年は二十歳前後なるへけれは、彼此齟齬するものなし、おもふに此」, 田系圖・, 盆親は親元日記にいふ所松平遠江入道道慶なり、仍て今信光君の御舍弟とす、御馬村本長澤系圖には、道慶を聖慶, ろ信光君足利家の指揮に從ひ玉ひしなれは、御弟及ひ御子を彼地に在番せしめられしなるへし、但賦銘引付に記, ありて、號を改しもの歟、又松平正系圖には、道慶の初名孫次郎とあり、, 尊系略・松平系圖等によるに、遠江入道道慶の子に、勝親を記し、遠江守とありて、大炊助の名を記さす、恐らくは、在, に作る、親元記の附録政所賦銘引付にも、文明九年の條には、道慶とし、同十五年の條には、聖慶とあり、親元〓, 京の頃、父存生なりし故、大炊助と稱し、(父歿して後、遠江守の名を用ひしにや、又正系圖には、初名次郎太郎とあり、, 知る、且其年齡を推考するに、泰親君は、永享八年の御逝去なれは、道慶を泰親君御壯年の御子とせんには、長〓, 三年は六十餘歳なるへく、其子大炊助勝親も、既に壯年の頃なるへし、又信光君は長享二年の御逝去なれは、松平, のよしも見えされとも、松平氏にして、其名も御家の事を記せし書に載する所と符合すれは、聊疑ふへからさるを, 江入道道慶、長祿三年洛の地買得せし事見えたれは、是より先、既に上京ありしなるへし、又其書に御當家御一族, ろ, 〓り〇〓夕放しが、の〓四〓平〓に〓シ道の初名孫〓と〓〓〓, 信光ノ弟道, 慶, 長享二年七月二十二日, 四八三
割注
- 上京往還の日次詳ならす、○中略
- 御當家新田系圖・尊系略・松平正
- 綸旨は廿二日に賜はりしなれとも、
- 系圖等、泰親君の御子に係る所、
- 本多氏所藏御系圖、三日とし、三
- 所、其年月をもて分條すへけれとも、皆在京
- 中の事に渉るをもてこゝに〓録す、○中略
- 州龍海院過去帳、二月廿二日とす、
- 光君御隱棲の後なれは、親忠君紀彼年の條に出す、あはせ見るへし、○中略
- 記に見ゆ、安祥を親忠君に御讓りありしと、いつれか
- 文明中の記にのみ見ゆ、中に就て九年及ひ十五年の記に、松平遠
- 前後なる事詳ならす、姑くこゝにかく、又親長の卒去は延徳二年正月なり、信
- 此事三河物語・徳川軍功記・御先祖記・御當家御代々
- 此事は御當家の記録に絶て載せさる所にして、たノ政所賦銘引付
- 御當家新
- は、當時の記にして、其異同ある事如此なれは、恐らくは、其間に忌む所
- 修理亮親長を御壯年の御子とせんに、長祿三年は二十歳前後なるへけれは、彼此齟齬するものなし、おもふに此」
- 田系圖・
- 盆親は親元日記にいふ所松平遠江入道道慶なり、仍て今信光君の御舍弟とす、御馬村本長澤系圖には、道慶を聖慶
- ろ信光君足利家の指揮に從ひ玉ひしなれは、御弟及ひ御子を彼地に在番せしめられしなるへし、但賦銘引付に記
- ありて、號を改しもの歟、又松平正系圖には、道慶の初名孫次郎とあり、
- 尊系略・松平系圖等によるに、遠江入道道慶の子に、勝親を記し、遠江守とありて、大炊助の名を記さす、恐らくは、在
- に作る、親元記の附録政所賦銘引付にも、文明九年の條には、道慶とし、同十五年の條には、聖慶とあり、親元〓
- 京の頃、父存生なりし故、大炊助と稱し、(父歿して後、遠江守の名を用ひしにや、又正系圖には、初名次郎太郎とあり、
- 知る、且其年齡を推考するに、泰親君は、永享八年の御逝去なれは、道慶を泰親君御壯年の御子とせんには、長〓
- 三年は六十餘歳なるへく、其子大炊助勝親も、既に壯年の頃なるへし、又信光君は長享二年の御逝去なれは、松平
- のよしも見えされとも、松平氏にして、其名も御家の事を記せし書に載する所と符合すれは、聊疑ふへからさるを
- 江入道道慶、長祿三年洛の地買得せし事見えたれは、是より先、既に上京ありしなるへし、又其書に御當家御一族
- ろ
- 〓り〇〓夕放しが、の〓四〓平〓に〓シ道の初名孫〓と〓〓〓
頭注
- 信光ノ弟道
- 慶
柱
- 長享二年七月二十二日
ノンブル
- 四八三
注記 (47)
- 1721,644,57,487成玉ふに依てなり、
- 1605,649,61,1566これより先、長祿の頃より信光君の御舍弟松平遠江入道道慶、
- 1134,642,59,950及ひ御子松平修理亮親長在京せらる、
- 1837,643,65,2245十三年辛丑四月、妙心寺天盈參内して勅願所たるへきの綸旨をたまはる、是信光君の執
- 315,647,57,529二年戊申七月廿二日、
- 549,644,59,1177岩津の城をは松平修理亮親長にゆつりたまふ、
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- 1046,646,48,2247江入道道慶、長祿三年洛の地買得せし事見えたれは、是より先、既に上京ありしなるへし、又其書に御當家御一族
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- 1517,638,49,2254盆親は親元日記にいふ所松平遠江入道道慶なり、仍て今信光君の御舍弟とす、御馬村本長澤系圖には、道慶を聖慶
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