『大日本史料』 6編 5 暦応元年8月~暦応2年12月 p.634

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

葉和歌集雜下に、, 春日明神の, 作り給ふ阿彌陀如來云々、, するに、果して然り、后妃傳に、藤原爲子の腹に尊良親王, と見えたなは、此, 安養比丘尼を瓊子内親王と定めたてまつる故は、門脇重綾か考證に曰、新, の安養比丘尼の御事にて、尊良親王き御同腹の御兄に座して、御親しみも, 宗良親王, 他に異なりけれは、此御贈答は有しにやと思ふに依りて、大日本史を參考, 曰、爲子生女三宮、然名稱事實不可考と記して、是は皇女傳に載せす、皇女傳, 光明院の暦應二己卯八月朔日云々往生し給ひぬ, には、惟子内親王瓊子内親王有て、又一皇女あり、瓊子内親王御薙髮の事は, 佛舍利, 瓊子内親王欣子内親王ありて、又一皇女あり、分注に増鏡, の後なり、當月十六日御父後醍醐天皇吉野の行宮に崩す、去年新田義貞越, 南朝延元四年北朝暦應二年八月一日, 此他世に春日作と云ふ佛體あり、元正天皇の御, す、新葉集の撰者、, 時、河内人春日部某つ作る所と云ヘり、是を誤れ, 南朝の延元四年に〓, 將軍、信濃宮と稱, 難きは、文の拙きなり、龍神云々の事、太平記にも見えたり, 龍神に與へ給ひし員外にて、同徳の佛舍利なり、其意に聞え, フ載セタリ、上二收メタルヲ以テ略ス, 迄の間と知るへし、地頭は當年は佐々木、明年は名和氏なり, 此寺成て内法親王は深田氏より遷らを給ひしなるへし, ○瓊子内親王ト尊良親王ト、御贈答ノ歌, に起せ給はす、且此薨去を叡聞有しは、御惱の發する○中, 頃なるへし、此彼を察し奉〓て、又〓歎竭る所なし、略、, る文, 元弘二年よりは八年, 内を其地と爲給ふなる〓し、年月詳ならされとも、當年還幸の後より、明年, 記す、, 傳上に, なり、, り、此時當寺は御草創あり、彼藤井氏に入らせ給ひし由縁を以て、彼家の境, 前に戰死し、南方擧て膽を墜せるに、又當年八月九日より天皇不豫有し〓, 征, 東, 御歌ニツ, 新葉集ノ, キテノ考, 南朝延元四年北朝暦應二年八月一日, 六三四

割注

  • 此他世に春日作と云ふ佛體あり、元正天皇の御
  • す、新葉集の撰者、
  • 時、河内人春日部某つ作る所と云ヘり、是を誤れ
  • 南朝の延元四年に〓
  • 將軍、信濃宮と稱
  • 難きは、文の拙きなり、龍神云々の事、太平記にも見えたり
  • 龍神に與へ給ひし員外にて、同徳の佛舍利なり、其意に聞え
  • フ載セタリ、上二收メタルヲ以テ略ス
  • 迄の間と知るへし、地頭は當年は佐々木、明年は名和氏なり
  • 此寺成て内法親王は深田氏より遷らを給ひしなるへし
  • ○瓊子内親王ト尊良親王ト、御贈答ノ歌
  • に起せ給はす、且此薨去を叡聞有しは、御惱の發する○中
  • 頃なるへし、此彼を察し奉〓て、又〓歎竭る所なし、略、
  • る文
  • 元弘二年よりは八年
  • 内を其地と爲給ふなる〓し、年月詳ならされとも、當年還幸の後より、明年
  • 記す、
  • 傳上に
  • なり、
  • り、此時當寺は御草創あり、彼藤井氏に入らせ給ひし由縁を以て、彼家の境
  • 前に戰死し、南方擧て膽を墜せるに、又當年八月九日より天皇不豫有し〓

頭注

  • 御歌ニツ
  • 新葉集ノ
  • キテノ考

  • 南朝延元四年北朝暦應二年八月一日

ノンブル

  • 六三四

注記 (44)

  • 911,648,58,508葉和歌集雜下に、
  • 1737,2524,54,337春日明神の
  • 1617,649,57,783作り給ふ阿彌陀如來云々、
  • 562,656,61,1632するに、果して然り、后妃傳に、藤原爲子の腹に尊良親王
  • 916,2386,56,484と見えたなは、此
  • 1028,651,62,2218安養比丘尼を瓊子内親王と定めたてまつる故は、門脇重綾か考證に曰、新
  • 796,659,60,2210の安養比丘尼の御事にて、尊良親王き御同腹の御兄に座して、御親しみも
  • 568,2522,55,275宗良親王
  • 679,652,62,2221他に異なりけれは、此御贈答は有しにやと思ふに依りて、大日本史を參考
  • 329,666,62,2205曰、爲子生女三宮、然名稱事實不可考と記して、是は皇女傳に載せす、皇女傳
  • 1382,720,57,1504光明院の暦應二己卯八月朔日云々往生し給ひぬ
  • 211,656,62,2219には、惟子内親王瓊子内親王有て、又一皇女あり、瓊子内親王御薙髮の事は
  • 1500,861,56,207佛舍利
  • 445,1151,62,1715瓊子内親王欣子内親王ありて、又一皇女あり、分注に増鏡
  • 1307,664,47,2202の後なり、當月十六日御父後醍醐天皇吉野の行宮に崩す、去年新田義貞越
  • 1966,724,46,730南朝延元四年北朝暦應二年八月一日
  • 1646,1437,43,1425此他世に春日作と云ふ佛體あり、元正天皇の御
  • 430,659,42,479す、新葉集の撰者、
  • 1601,1447,45,1413時、河内人春日部某つ作る所と云ヘり、是を誤れ
  • 1413,2247,42,607南朝の延元四年に〓
  • 475,655,42,481將軍、信濃宮と稱
  • 1485,1069,43,1724難きは、文の拙きなり、龍神云々の事、太平記にも見えたり
  • 1529,1075,45,1787龍神に與へ給ひし員外にて、同徳の佛舍利なり、其意に聞え
  • 901,1174,40,1098フ載セタリ、上二收メタルヲ以テ略ス
  • 1763,657,44,1778迄の間と知るへし、地頭は當年は佐々木、明年は名和氏なり
  • 1718,656,43,1698此寺成て内法親王は深田氏より遷らを給ひしなるへし
  • 941,1169,45,1185○瓊子内親王ト尊良親王ト、御贈答ノ歌
  • 1175,659,47,1703に起せ給はす、且此薨去を叡聞有しは、御惱の發する○中
  • 1131,655,44,1650頃なるへし、此彼を察し奉〓て、又〓歎竭る所なし、略、
  • 1532,660,40,110る文
  • 1368,2248,44,610元弘二年よりは八年
  • 1835,663,44,2205内を其地と爲給ふなる〓し、年月詳ならされとも、當年還幸の後より、明年
  • 552,2315,41,126記す、
  • 597,2315,40,183傳上に
  • 1491,660,34,121なり、
  • 1879,659,46,2208り、此時當寺は御草創あり、彼藤井氏に入らせ給ひし由縁を以て、彼家の境
  • 1234,653,47,2200前に戰死し、南方擧て膽を墜せるに、又當年八月九日より天皇不豫有し〓
  • 598,2823,41,41
  • 553,2822,42,43
  • 914,287,40,165御歌ニツ
  • 957,289,43,162新葉集ノ
  • 870,293,40,164キテノ考
  • 1965,724,48,730南朝延元四年北朝暦應二年八月一日
  • 1966,2454,48,128六三四

類似アイテム