『大日本史料』 6編 30 応安元年8月~応安2年6月 p.426

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〔參考〕, 御筆法華經は、すなはち中務卿親王の御筆なるへし、今阿蘇山の學頭坊に、後村上帝御, も、建徳二年に、懷良親王より、はるはる御消息ありて、御うたの御贈答なとありしこ, 賭したらんうへにて、其しかりしからさるは定むへし、中務卿親王は、懷良親王の御兄, は、はるはる遠く阿蘇社まて、御筆の經なと御奉納はあるましきことにもおもはるれと, 〔征西大將軍宮譜〕十正平二・十四年己酉北朝應安二年, れは、そらには定めかたきことなれとも、實は此中務卿の御筆なるに、後に後村上帝の, てありしなるへし、依ておもふに、彼後村上帝の宸筆といへるも、いまた恭賭に及はさ, 宸筆といひなしたるにはあらぬにか、こはもとよりおしはかりのことなれは、親しく恭, か、先帝の宸筆とか、かくへき事なるに、たゝ御筆とのみあれは、中務卿親王の御筆に, かともおもはるれとも、もしさることならんには、其頃の文章にては、かならす宸筆と, と、新葉に見えたれは、折々もかたみに御文なとかよはされて、訪もしとはれもし給ひ, 宮宗良親王也、されとも此宮は、延元元年の冬より、久しく東國に下りておはせしか, 奉納ありし宸筆の法花經を、傳あるよし聞えたれは、此御筆とあるは、宸筆の事ならん, ○懷良親王令旨ニ見エタル御筆法花經ノ筆者詳ナラズ、, 南朝正平二十四年北朝應安二年五月三日, 筆ナルベ, 良親王御, 中務卿宗, 法華經筆, シトイフ, 者ノ考證, 四二六

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  • 良親王御
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  • 四二六

注記 (23)

  • 1708,825,80,191〔參考〕
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