『大日本史料』 8編 22 長享2年5月~同年7月 p.486

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中之侍爲嫁娶繁昌、嫡子修理亮岩戸太郎親長、次男守家號和泉守、, 左馬助算次、, 官本三河記曰、信光得安城續父業、勇氣勝人、加西三河三分一、子生四十八人、故國, 三郎光直、, 全蓮に嫁し玉ふ、, 徳川軍功記曰、信光西三河三分一爲主、岩津讓修理亮親長、, 中務某、, 之助某、, 右馬, 又御女子一は十田彈正左衞門宗光に嫁し玉ひ、, 寺, 岡崎讓和泉守守家、, 一は桑子村明眼, 妙心寺燈翁、, 以親忠有武徳爲〓領, とも、是其長男なる事をしらす、又其名を信重、或は連宗に作りしも、深く長澤の家傳を考へすして記せしなり、, て、備中守連宗に作る、是等の書は皆左京亮守家をもて、長男の系に係るにより、備中守親則をこゝに收めしなれ, 運綿録スする所疑ふへし、三河物語・關野濟安聞書等に到りては、御二男源次郎に、大給の城をゆつらると記せし, 應三年十一月條に記す、以上記す所、光直以下は、御家の事記せし書に所現なし、又本多氏藏御系廻。松源大譜系に、, 蓮花院唱阿、, メ連綿録には、宅譽を載せて信光明寺住持と記す、されとも彼寺由緒書歴世住職の條に、宅〓の事をのせされは、, 彌三郎信重を、長澤松平の祖とし、尊系略には、信重を載せすして、備中守親則を收め、徳川正統記も是に同ふし, 〓に歸らるとあり、其事は長親君紀明, 子なれは誤りなり、, も、これ親忠君の御, 人の事、大樹寺藏御系圖及ひ尊系略等記す所詳ならす, 文九年三月十一日卒去の條にしるす、, 條に出す、, 寛正六年の, 書し類には所見なし、事跡は清康君紀天文八年六月七日卒去の條に記す、, 本文載る所、御長幼或は男女の, 君の御子とあり、事跡は清康君紀天, 造岡を稱せらる、山中法藏寺由緒書に、信光君の御子といふ、御家の事を, 事蹟ハ長親君紀延徳二年の條にあり、, 大樹寺過去帳追加に見ゆ、事蹟は、親, 自註、嫡, なれは、疑ふらくはこゝに住せられしにや、されとも此, 併せみ, 岩津村妙心寺に住職し玉ふといふ、, 此餘は考ふへきものなし、, て御十六人の事跡を得たり、, るへし、, 碧海郡にあり、古は明眼の字を用ひしかと、後御朱印, 次序詳ならす、今諸記を搜求し, 忠君紀明應二年井田合戰の條に出す、, の文に妙源寺と記し玉ひしより其字に改む、今猶然り、, は廣忠君紀天文六年七月廿五日及ひ東照宮紀弘治二年十月九日條, 子也, 自註、次, 男也、, 三河國碧海郡上野村隣松寺由緒書及ひ大樹寺過去帳による、事實, 是も法藏寺由, 緒書に、信光, 彌三郎信重を、長澤松平の祖とし、尊系略には、信重を載せすして、備中守親則を收め、徳川正統記も是に同ふ-, 高野山蓮花院に住せられ、後三河國, 〓に歸らるとあり、其事は長親君紀明, 應三年十一月條に記す、以上記す所、光直以下は、御家の事記せし書に所見なし、又本多氏藏御系圖』。松源大譜系, 連綿録載する所疑ふへし、三河物語・關野濟安聞書等に到りては、御二男源次郎に、大給の城をゆつらると記せし, て、備中守連宗に作る、是等の書は皆左京亮守家をもて、長男の系に係るにより、備中守親則をこに收めしなれ, 又連綿録には、宅譽を載せて信光明寺住持と記す、されとも彼〓由緒書歴世住職の條に、〓響の事をのせされは、, とも、是其長男なる事をしらす、又其名を信重、或は連宗に作りしも、深く長澤の家傳を考へすして記せしなり、, 中務某, 女子明眼寺, 全蓮ニ嫁ス, 右馬之助某, 算次, 光直, 唱阿, 燈翁, 長享二年七月二十二日, 四八六

割注

  • 子なれは誤りなり、
  • も、これ親忠君の御
  • 人の事、大樹寺藏御系圖及ひ尊系略等記す所詳ならす
  • 文九年三月十一日卒去の條にしるす、
  • 條に出す、
  • 寛正六年の
  • 書し類には所見なし、事跡は清康君紀天文八年六月七日卒去の條に記す、
  • 本文載る所、御長幼或は男女の
  • 君の御子とあり、事跡は清康君紀天
  • 造岡を稱せらる、山中法藏寺由緒書に、信光君の御子といふ、御家の事を
  • 事蹟ハ長親君紀延徳二年の條にあり、
  • 大樹寺過去帳追加に見ゆ、事蹟は、親
  • 自註、嫡
  • なれは、疑ふらくはこゝに住せられしにや、されとも此
  • 併せみ
  • 岩津村妙心寺に住職し玉ふといふ、
  • 此餘は考ふへきものなし、
  • て御十六人の事跡を得たり、
  • るへし、
  • 碧海郡にあり、古は明眼の字を用ひしかと、後御朱印
  • 次序詳ならす、今諸記を搜求し
  • 忠君紀明應二年井田合戰の條に出す、
  • の文に妙源寺と記し玉ひしより其字に改む、今猶然り、
  • は廣忠君紀天文六年七月廿五日及ひ東照宮紀弘治二年十月九日條
  • 子也
  • 自註、次
  • 男也、
  • 三河國碧海郡上野村隣松寺由緒書及ひ大樹寺過去帳による、事實
  • 是も法藏寺由
  • 緒書に、信光
  • 彌三郎信重を、長澤松平の祖とし、尊系略には、信重を載せすして、備中守親則を收め、徳川正統記も是に同ふ-
  • 高野山蓮花院に住せられ、後三河國
  • 〓に歸らるとあり、其事は長親君紀明
  • 應三年十一月條に記す、以上記す所、光直以下は、御家の事記せし書に所見なし、又本多氏藏御系圖』。松源大譜系
  • 連綿録載する所疑ふへし、三河物語・關野濟安聞書等に到りては、御二男源次郎に、大給の城をゆつらると記せし
  • て、備中守連宗に作る、是等の書は皆左京亮守家をもて、長男の系に係るにより、備中守親則をこに收めしなれ
  • 又連綿録には、宅譽を載せて信光明寺住持と記す、されとも彼〓由緒書歴世住職の條に、〓響の事をのせされは、
  • とも、是其長男なる事をしらす、又其名を信重、或は連宗に作りしも、深く長澤の家傳を考へすして記せしなり、

頭注

  • 中務某
  • 女子明眼寺
  • 全蓮ニ嫁ス
  • 右馬之助某
  • 算次
  • 光直
  • 唱阿
  • 燈翁

  • 長享二年七月二十二日

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  • 四八六

注記 (71)

  • 471,695,70,1696中之侍爲嫁娶繁昌、嫡子修理亮岩戸太郎親長、次男守家號和泉守、
  • 1658,2277,58,315左馬助算次、
  • 589,690,72,2191官本三河記曰、信光得安城續父業、勇氣勝人、加西三河三分一、子生四十八人、故國
  • 1770,1728,55,247三郎光直、
  • 829,1810,58,436全蓮に嫁し玉ふ、
  • 350,696,72,1526徳川軍功記曰、信光西三河三分一爲主、岩津讓修理亮親長、
  • 1529,1375,59,201中務某、
  • 1639,627,58,193之助某、
  • 1779,2766,56,110右馬
  • 938,1046,67,1185又御女子一は十田彈正左衞門宗光に嫁し玉ひ、
  • 825,633,47,50
  • 369,2401,58,479岡崎讓和泉守守家、
  • 955,2500,55,383一は桑子村明眼
  • 1406,785,60,321妙心寺燈翁、
  • 235,863,58,513以親忠有武徳爲〓領
  • 1159,634,54,2220とも、是其長男なる事をしらす、又其名を信重、或は連宗に作りしも、深く長澤の家傳を考へすして記せしなり、
  • 1206,626,55,2256て、備中守連宗に作る、是等の書は皆左京亮守家をもて、長男の系に係るにより、備中守親則をこゝに收めしなれ
  • 1038,640,58,2242運綿録スする所疑ふへし、三河物語・關野濟安聞書等に到りては、御二男源次郎に、大給の城をゆつらると記せし
  • 1315,623,64,2257應三年十一月條に記す、以上記す所、光直以下は、御家の事記せし書に所現なし、又本多氏藏御系廻。松源大譜系に、
  • 1418,1870,58,302蓮花院唱阿、
  • 1088,640,54,2225メ連綿録には、宅譽を載せて信光明寺住持と記す、されとも彼寺由緒書歴世住職の條に、宅〓の事をのせされは、
  • 1273,624,57,2256彌三郎信重を、長澤松平の祖とし、尊系略には、信重を載せすして、備中守親則を收め、徳川正統記も是に同ふし
  • 1406,2226,45,660〓に歸らるとあり、其事は長親君紀明
  • 920,632,41,360子なれは誤りなり、
  • 966,634,42,389も、これ親忠君の御
  • 1743,624,50,1057人の事、大樹寺藏御系圖及ひ尊系略等記す所詳ならす
  • 1506,626,49,723文九年三月十一日卒去の條にしるす、
  • 936,2247,42,193條に出す、
  • 977,2245,44,212寛正六年の
  • 1626,836,53,1407書し類には所見なし、事跡は清康君紀天文八年六月七日卒去の條に記す、
  • 861,2271,49,609本文載る所、御長幼或は男女の
  • 1552,621,49,716君の御子とあり、事跡は清康君紀天
  • 1674,830,52,1423造岡を稱せらる、山中法藏寺由緒書に、信光君の御子といふ、御家の事を
  • 1394,1127,50,728事蹟ハ長親君紀延徳二年の條にあり、
  • 1803,1997,48,748大樹寺過去帳追加に見ゆ、事蹟は、親
  • 395,2232,43,152自註、嫡
  • 1790,625,47,1079なれは、疑ふらくはこゝに住せられしにや、されとも此
  • 1437,623,41,126併せみ
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  • 687,632,44,500此餘は考ふへきものなし、
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  • 850,700,49,1084碧海郡にあり、古は明眼の字を用ひしかと、後御朱印
  • 817,2273,50,605次序詳ならす、今諸記を搜求し
  • 1756,1999,48,729忠君紀明應二年井田合戰の條に出す、
  • 800,712,54,1078の文に妙源寺と記し玉ひしより其字に改む、今猶然り、
  • 1516,1600,53,1285は廣忠君紀天文六年七月廿五日及ひ東照宮紀弘治二年十月九日條
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  • 220,693,41,94男也、
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