Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
て後、阿古谷に追ひ入給ひ畢云々、, 野より大峯に入る、今南京餅飯殿町と號する所あり、彼壯丁の出る所なり、, るゝは、永く遠く此御山を去るへし、若猶來らは命根を斷へし、如此降伏し, 津抄云, 起んとすれとも、強力に蹈付られて起事能はす、尊師地に宣し含め仰せら, に參詣し玉ふに、地是を悦ひて尊師を瞰食せんとす、尊師旨尾を蹈玉ふに、, 切參詣人なし、その故は、大〓ありて參詣すれは、悉く是を瞰食す、尊師彼山, 古記云、師奈良に於て、數人の壯丁をえらひ、斧を持して徑をひらかしめ、吉, 金峯山は、聖寶僧正以前は、一, る事しるへし、且金峯山より石を取來り, る故、攝津僧都と云、抄物は津抄と云、, 注進、貞觀十一年の前に書たれは、今年な, 源運僧都記、僧都は攝津守輔明の子な, て、地鎭となし玉ふ事あれは、證とすへし、行實記には、寛平元年、勅をうけて, 惡龍を伏すと云、醋吸抄には、寛平七年、勅をうけて降伏すとありて、東大寺, 平七年には、現光寺の座主に任せられ、吉野川に舟を設けて、大峯すきやう, 者を濟す事あれは、是より附會して、降伏の事をこの年の事とするならん, と、降伏のさまをくわしくいへとも、皆後人附會の説を膾笑せしを出すな, 年、及七年につはらに, 云々、以下略之、, 惣國分寺之門也, いへは、宜互看なり、, の縁起をひけり、されと、勅命の事、國史に證なけれは、附會の説ならんか、寛, 降龍の事實、慥なる書に見ゆるは、津抄、注進はかりなり、行實記、傳燈廣録な, 記、水滸傳なとの神通を鬪はすさまをうつして、遂に惡龍を殺すに至る、是, り、廣録は、ことにまな字の歪文もて書たれは、眞と思ふ人多かるへし、西遊, 尊師に殺業を負すなり、捧腹に堪す、具眼者津抄を明據とすへし、猶寛平元, 古谷ニ追, 大蛇ヲ阿, 金峯山ノ, ヒ入ルト, 吉野金峯, ノ山道ヲ, 開ク, ノ説, 延喜九年七月六日, 一四五
割注
- る事しるへし、且金峯山より石を取來り
- る故、攝津僧都と云、抄物は津抄と云、
- 注進、貞觀十一年の前に書たれは、今年な
- 源運僧都記、僧都は攝津守輔明の子な
- て、地鎭となし玉ふ事あれは、證とすへし、行實記には、寛平元年、勅をうけて
- 惡龍を伏すと云、醋吸抄には、寛平七年、勅をうけて降伏すとありて、東大寺
- 平七年には、現光寺の座主に任せられ、吉野川に舟を設けて、大峯すきやう
- 者を濟す事あれは、是より附會して、降伏の事をこの年の事とするならん
- と、降伏のさまをくわしくいへとも、皆後人附會の説を膾笑せしを出すな
- 年、及七年につはらに
- 云々、以下略之、
- 惣國分寺之門也
- いへは、宜互看なり、
- の縁起をひけり、されと、勅命の事、國史に證なけれは、附會の説ならんか、寛
- 降龍の事實、慥なる書に見ゆるは、津抄、注進はかりなり、行實記、傳燈廣録な
- 記、水滸傳なとの神通を鬪はすさまをうつして、遂に惡龍を殺すに至る、是
- り、廣録は、ことにまな字の歪文もて書たれは、眞と思ふ人多かるへし、西遊
- 尊師に殺業を負すなり、捧腹に堪す、具眼者津抄を明據とすへし、猶寛平元
頭注
- 古谷ニ追
- 大蛇ヲ阿
- 金峯山ノ
- ヒ入ルト
- 吉野金峯
- ノ山道ヲ
- 開ク
- ノ説
柱
- 延喜九年七月六日
ノンブル
- 一四五
注記 (37)
- 1242,643,62,993て後、阿古谷に追ひ入給ひ畢云々、
- 302,635,60,2227野より大峯に入る、今南京餅飯殿町と號する所あり、彼壯丁の出る所なり、
- 1357,642,61,2208るゝは、永く遠く此御山を去るへし、若猶來らは命根を斷へし、如此降伏し
- 1826,643,58,201津抄云
- 1473,637,59,2210起んとすれとも、強力に蹈付られて起事能はす、尊師地に宣し含め仰せら
- 1591,643,60,2219に參詣し玉ふに、地是を悦ひて尊師を瞰食せんとす、尊師旨尾を蹈玉ふに、
- 1707,635,61,2212切參詣人なし、その故は、大〓ありて參詣すれは、悉く是を瞰食す、尊師彼山
- 419,632,61,2219古記云、師奈良に於て、數人の壯丁をえらひ、斧を持して徑をひらかしめ、吉
- 1824,2007,57,821金峯山は、聖寶僧正以前は、一
- 1226,1659,44,1176る事しるへし、且金峯山より石を取來り
- 1809,869,45,1053る故、攝津僧都と云、抄物は津抄と云、
- 1269,1649,47,1192注進、貞觀十一年の前に書たれは、今年な
- 1855,860,46,1122源運僧都記、僧都は攝津守輔明の子な
- 1154,653,45,2195て、地鎭となし玉ふ事あれは、證とすへし、行實記には、寛平元年、勅をうけて
- 1110,645,46,2200惡龍を伏すと云、醋吸抄には、寛平七年、勅をうけて降伏すとありて、東大寺
- 991,644,45,2193平七年には、現光寺の座主に任せられ、吉野川に舟を設けて、大峯すきやう
- 920,649,45,2196者を濟す事あれは、是より附會して、降伏の事をこの年の事とするならん
- 803,653,45,2187と、降伏のさまをくわしくいへとも、皆後人附會の説を膾笑せしを出すな
- 568,642,45,611年、及七年につはらに
- 1929,650,43,409云々、以下略之、
- 1974,647,41,473惣國分寺之門也
- 524,651,42,543いへは、宜互看なり、
- 1037,654,45,2189の縁起をひけり、されと、勅命の事、國史に證なけれは、附會の説ならんか、寛
- 874,649,47,2196降龍の事實、慥なる書に見ゆるは、津抄、注進はかりなり、行實記、傳燈廣録な
- 685,637,46,2212記、水滸傳なとの神通を鬪はすさまをうつして、遂に惡龍を殺すに至る、是
- 758,644,45,2201り、廣録は、ことにまな字の歪文もて書たれは、眞と思ふ人多かるへし、西遊
- 639,641,48,2209尊師に殺業を負すなり、捧腹に堪す、具眼者津抄を明據とすへし、猶寛平元
- 1745,282,41,173古谷ニ追
- 1790,285,44,169大蛇ヲ阿
- 1836,285,40,168金峯山ノ
- 1705,291,35,161ヒ入ルト
- 441,279,42,171吉野金峯
- 397,284,39,163ノ山道ヲ
- 352,277,40,79開ク
- 1658,289,43,79ノ説
- 198,721,46,344延喜九年七月六日
- 201,2456,45,111一四五







