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當寺は後醍醐天皇の皇女瓊子内親王, て寺中の形状圖の如し, あまり、御落飾坐まして、數年の後此地に薨し給ふ、御廟寺内に嚴然として、, 事遍く世に著はれ給はす、又滿天の遺憾と云ふ可し, 給ひ、當國迄下らせ給ひしを、共に隱岐へ御渡海の事叶はせ給はす、御嘆の, 守護の僧侶、領内の老少、崇敬至らさる所なし、是を聞く者懷古の袂を絞り、, 無盡の感〓を發せすと云ふ事なし、然るに戰國の弊として、是を筆記に傳, 間許、三方筋塀を囘らせり、牆内に入る事を許さす、御門外に稽首せしむ、凡, へす、軍記系譜等の書、又後世の著述にも、一言是に係るもの無し、故に此御, 御開, 今寺に藏する縁起、及ひ彼稻田氏か, 御草創なり、天王元弘二年隱岐へ遷幸の時、内親王潛に女房に伴はれさせ, 境内稍高き地に在て、天皇の御靈社と相對す、高五尺許の五輪塔にて、方三, 基西月院安養比丘尼御墓、, 御法名西月院安養比丘尼の, 〔伯耆志〕, 〔參考〕, 會見郡山市場村勅願所會見山西月院安養寺、, 略記する處と、略縁起, 當國にても民諺記に, と云ヘる一紙あれとも、皆十の二を知, 遊行派、, 考證下, るに足らす、田簑日記に一首の歌あり, ○中略, に記す, ○中, 略、, 見郡山市場村, 二, 會三, 御墳墓, 安養寺, 南朝延元四年北朝暦應二年八月一日, 六三一
割注
- 略記する處と、略縁起
- 當國にても民諺記に
- と云ヘる一紙あれとも、皆十の二を知
- 遊行派、
- 考證下
- るに足らす、田簑日記に一首の歌あり
- ○中略
- に記す
- ○中
- 略、
- 見郡山市場村
- 二
- 會三
頭注
- 御墳墓
- 安養寺
柱
- 南朝延元四年北朝暦應二年八月一日
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- 六三一
注記 (35)
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