『大日本史料』 11編 19 天正13年閏8月 p.69

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

等と一紙の御書をたまふ、, 十四年正月、武川の士とおなしく一紙の御書をたまふ、, に一紙の御書をたまふ、, 繼等とゝもに、大久保七郎右衞門忠世か手に屬し、軍忠をはけまし、また證人として、, にたてまつり、大久保忠世か手に屬して軍功ありしかは、十四年正月、武川の士ととも, 妻子を駿河國興國寺にたてまつりしにより、十四年正月十三日、武川の士一紙の御書, 〔寛政重修諸家譜〕, 十三年、眞田昌幸か籠れる上田城をせめらるゝのとき、妻子を證人として駿河の興國寺, 信繼十三年九月、上田城攻のとき、戰功をはけませしかは、十四年正月十三日、忠〓, 十三年、眞田昌幸か居城をせめらるゝのとき、妻子を駿府に獻し軍功を勵ますにより、, 米倉豐繼, 〔譜牒餘録後編〕, 忠繼十三年九月、眞田昌幸か籠れる信濃國上田城を攻らるゝのとき、弟六郎右衞門信, 〔寛政重修諸家譜〕, を下され、〓, 天正十三年閏八月二日, 左京左大夫, 今の呈肥定繼に作る、, 二十三, 百七, 加左衞門, 今の呈譜左大夫、のち半六郎にあらたむといふ、, 十, 百七, 大御番六番米津周防守組, 米倉滿繼, 曲淵正吉, 米倉信繼, 天正十三年閏八月二日, 六九

割注

  • 左京左大夫
  • 今の呈肥定繼に作る、
  • 二十三
  • 百七
  • 加左衞門
  • 今の呈譜左大夫、のち半六郎にあらたむといふ、
  • 大御番六番米津周防守組

頭注

  • 米倉滿繼
  • 曲淵正吉
  • 米倉信繼

  • 天正十三年閏八月二日

ノンブル

  • 六九

注記 (30)

  • 1323,773,57,648等と一紙の御書をたまふ、
  • 935,712,58,1402十四年正月、武川の士とおなしく一紙の御書をたまふ、
  • 434,716,55,584に一紙の御書をたまふ、
  • 1803,777,63,2201繼等とゝもに、大久保七郎右衞門忠世か手に屬し、軍忠をはけまし、また證人として、
  • 546,717,62,2238にたてまつり、大久保忠世か手に屬して軍功ありしかは、十四年正月、武川の士ととも
  • 1680,773,65,2182妻子を駿河國興國寺にたてまつりしにより、十四年正月十三日、武川の士一紙の御書
  • 1183,699,76,585〔寛政重修諸家譜〕
  • 666,710,66,2247十三年、眞田昌幸か籠れる上田城をせめらるゝのとき、妻子を證人として駿河の興國寺
  • 1435,710,65,2249信繼十三年九月、上田城攻のとき、戰功をはけませしかは、十四年正月十三日、忠〓
  • 1051,716,63,2205十三年、眞田昌幸か居城をせめらるゝのとき、妻子を駿府に獻し軍功を勵ますにより、
  • 1189,1480,57,230米倉豐繼
  • 293,695,76,510〔譜牒餘録後編〕
  • 1925,720,63,2235忠繼十三年九月、眞田昌幸か籠れる信濃國上田城を攻らるゝのとき、弟六郎右衞門信
  • 799,695,76,595〔寛政重修諸家譜〕
  • 1555,778,85,324を下され、〓
  • 180,838,44,424天正十三年閏八月二日
  • 1219,1716,42,251左京左大夫
  • 790,1712,42,398今の呈肥定繼に作る、
  • 330,1258,42,117二十三
  • 1223,1334,40,82百七
  • 836,1710,41,168加左衞門
  • 1173,1715,45,915今の呈譜左大夫、のち半六郎にあらたむといふ、
  • 1176,1331,46,39
  • 837,1333,41,80百七
  • 284,1253,43,521大御番六番米津周防守組
  • 818,362,43,170米倉滿繼
  • 309,356,41,173曲淵正吉
  • 1444,364,44,172米倉信繼
  • 180,837,44,424天正十三年閏八月二日
  • 176,2453,43,79六九

類似アイテム