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ふ、室は織田七兵衞信澄が女、卒す、繼室は毛利河内守秀政が女、, 〔寛政重修諸家譜〕, 三百二級を得てたてまつる、そのゝち、領知にをいて、大坂の殘黨小岩井五左衞門某, 泰院と號す、紫野大徳寺の芳春院に葬る、九月、上使をもつて、賻銀五百枚をたま, を生捕てたてまつる、二年駿府に參り、いとま申のとき、安吉の御脇指をたまひ、, 京極高廣, て高麗の大鷹をたまひ、七年、暇申のときも、志津ならびに中堂來の御脇指を拜賜, 年またいとまたまふのとき、薄衣と號けし御馬をひかれ、御上洛のとき、伏見にをい, す、その餘、江戸・京師に往來するのとき、呉服をよび馬・鷹・兵粮米・白銀等を賜, ふこと、しば〳〵なり、八年八月十二日、京師にをいて卒す、年五十一、眞巖道可瑞, れを生捕たる家臣二人に黄金をたまふ、五月七日城陷るのとき、敵を追撃にし、首, 赴く、このとき、來國光の御刀をよび馬をたまひ、八月十九日、父が喪を問せられ、御書, を下さる、のち遺領を繼、七萬八千二百石を領し、弟修理大夫高三に三萬五千石を、主, 擒にし、その懷中にかくしたる廻文をよび竹流の黄金三箇を、たてまつりしかば、。, 八年三月、父高知、領知にありて病にかゝるの告あるにより、請て宮津に, 元和八年八月十二日, 丹後, 二十, 四百, 守, ストノ説, 法號, 赴ク, 至ハ織田信, ヨリ宮津ニ, 知病篤キニ, 世嗣高廣高, 秀忠内書, 京都ニテ歿, 秀頼ノ女, 澄ノ女, 繼室ハ毛利, 高廣遺領ヲ, 繼グ, 元和八年八月十二日, 九
割注
- 丹後
- 二十
- 四百
- 守
頭注
- ストノ説
- 法號
- 赴ク
- 至ハ織田信
- ヨリ宮津ニ
- 知病篤キニ
- 世嗣高廣高
- 秀忠内書
- 京都ニテ歿
- 秀頼ノ女
- 澄ノ女
- 繼室ハ毛利
- 高廣遺領ヲ
- 繼グ
柱
- 元和八年八月十二日
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- 九
注記 (36)
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