『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.331

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ろ、高次かひさしく籠城せし功を賞せられ、所領を轉して若狹一國をた, く、八月以來、關東に注進するところの使いまたかへらす、御出馬の期も, 知かたく、かつ要害もまた堅固ならす、小勢をもつて大敵防きかたきに, より、十五日早朝に城を渡し、從兵七八十騎を率ゐて宇治邊に引退き、ぬ, 諚あるにより、台命辭しかたく、大坂に至りてまみへたてまつるのとこ, にしたかはさりしかは、ふたゝひ弟高知をよひ道阿彌を下され、懇の御, にあたりて、家臣の内疑しきものおほく、しかのみならす、近國に援兵な, をくるといへとも、守城の功とけさるかゆへにこれに應せす、其のち山, 庄東玉齋、高野山の木食聖人城中に來りて、和議をはからぬといへとも, 岡道阿彌を御使として、下山すへきむね仰下さるといへとも、なをこれ, のゝち、井伊直政よりしは〳〵書状をもつて下山あるへきの旨まうし, 和平の事をすゝめ、家臣黒田伊豫某も再三和議せむことを請、このとき, 高次領掌せさるのところ、秀頼の母儀の使として、海津尼、幸藏主來りて, 良利、赤尾伊豆等殿して敵を追拂ぬ、このとき味方多く討死す、十四日新, たゝひ東照宮に拜〓する事を耻て法體し、高野山におもむく、關原凱旋, 和議ノ計, シテ高野, 高次城ヲ, 致シ刺髮, 木食上人, 道阿彌ヲ, 遣シ下山, 家康山岡, ヲ勸ム, ニ逃ル, ラヒ, 慶長十四年五月三日, 三三一

頭注

  • 和議ノ計
  • シテ高野
  • 高次城ヲ
  • 致シ刺髮
  • 木食上人
  • 道阿彌ヲ
  • 遣シ下山
  • 家康山岡
  • ヲ勸ム
  • ニ逃ル
  • ラヒ

  • 慶長十四年五月三日

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  • 三三一

注記 (28)

  • 245,696,70,2154ろ、高次かひさしく籠城せし功を賞せられ、所領を轉して若狹一國をた
  • 1301,700,67,2154く、八月以來、關東に注進するところの使いまたかへらす、御出馬の期も
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  • 155,2435,43,109三三一

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