『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.254

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

し猶大勢の中へはセ入つて、よく防ひで討ち死す、, ひ、今君に代つて忠死すと、人々是を感ず、, 千餘人助け來りければ、味方の勢心は功にいさめ共、入替る味方はなく、息つかれて敗軍, す、酒井雅樂助政親萠黄威の鎧に朱の塗笠を着し、崩れかゝる味方を籏竿を持てなぎ立て, 見たりしと詞をかける、濱松方苦戰して〓き廻りければ、昌景が兵たへかねて左右に分れ, てにげ走る、あわや味方討勝つと見る所に、武田左馬之助信豐・甘利備前守、其外荒手三, ふ所を、夏目次郎左衞門・都筑右京走り來り、御馬の口を味方の方へ向けて、大將の討死, し給ふ所にあらずと一鞭あてゝ、御馬を飛はセ、二人はふみ止て、向ふ敵六・七騎切て落, 下知し、武勇を振ふ、家康公には味方の敗軍を御覽有て、諸勢を落さんと御馬をかへし給, 聞ゆる大力なれは、取て引よせ、首かゝんとするにかまわず、ふり返つて、海道筋は敵充, 所、道の脇より安藤勝藏、生年拾七歳なるがはセ出て、御身に代り昌景に組付たり、昌景, 此夏目次郎左衞門は、先年三州一揆の時御敵したるを、御赦免あり、其御厚恩を思, 山懸が軍兵進む中にも、昌景眞先にすゝんで、家康公の御跡をしたひ、既に危く見へたる, 滿したり、此道を引き給へと呼はり、終に昌景か爲に討死す、あつはれ大勇の若武者なり, 討死, 安藤勝藏ノ, 元龜三年十二月二十二日, 二五四

頭注

  • 討死
  • 安藤勝藏ノ

  • 元龜三年十二月二十二日

ノンブル

  • 二五四

注記 (18)

  • 996,612,61,1275し猶大勢の中へはセ入つて、よく防ひで討ち死す、
  • 759,729,60,1097ひ、今君に代つて忠死すと、人々是を感ず、
  • 1577,603,70,2293千餘人助け來りければ、味方の勢心は功にいさめ共、入替る味方はなく、息つかれて敗軍
  • 1461,600,70,2298す、酒井雅樂助政親萠黄威の鎧に朱の塗笠を着し、崩れかゝる味方を籏竿を持てなぎ立て
  • 1806,604,66,2292見たりしと詞をかける、濱松方苦戰して〓き廻りければ、昌景が兵たへかねて左右に分れ
  • 1691,603,67,2288てにげ走る、あわや味方討勝つと見る所に、武田左馬之助信豐・甘利備前守、其外荒手三
  • 1229,606,66,2295ふ所を、夏目次郎左衞門・都筑右京走り來り、御馬の口を味方の方へ向けて、大將の討死
  • 1111,606,69,2292し給ふ所にあらずと一鞭あてゝ、御馬を飛はセ、二人はふみ止て、向ふ敵六・七騎切て落
  • 1345,605,66,2302下知し、武勇を振ふ、家康公には味方の敗軍を御覽有て、諸勢を落さんと御馬をかへし給
  • 404,610,68,2298聞ゆる大力なれは、取て引よせ、首かゝんとするにかまわず、ふり返つて、海道筋は敵充
  • 519,608,70,2298所、道の脇より安藤勝藏、生年拾七歳なるがはセ出て、御身に代り昌景に組付たり、昌景
  • 874,726,66,2174此夏目次郎左衞門は、先年三州一揆の時御敵したるを、御赦免あり、其御厚恩を思
  • 636,609,66,2295山懸が軍兵進む中にも、昌景眞先にすゝんで、家康公の御跡をしたひ、既に危く見へたる
  • 288,613,70,2292滿したり、此道を引き給へと呼はり、終に昌景か爲に討死す、あつはれ大勇の若武者なり
  • 480,236,41,83討死
  • 524,238,43,208安藤勝藏ノ
  • 1918,721,46,476元龜三年十二月二十二日
  • 1926,2427,45,119二五四

類似アイテム