『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.268

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關原のたゝかひをはり、十二月十三日、昌幸叛逆のつみ死にあたるとい, 景勝御征伐のため、下野國宇都宮に御陣をすへらるゝのところ、東照宮, を御征伐ありて、美濃、尾張に御旗を旋らけるへしとれり、これにより、た, たちに宇都宮を發し上田城を攻たまふ、しかりといへとも、この地に日, より、本多佐渡守正信をつかはされ、先兵を上田の城にすゝめられ、昌幸, へとも、男信之、しきりに助命のことをこひたてまつるにより、かまか忠, 政等をして昌幸か軍にそれへしめ、台施を西にすゝめらる、すてにして, 衞尉ト名乘ル、晴信ノ奧近習六人ノ中ニ撰ハル、其後士大將ト爲ル、天正三、, 志のあさからさるをもつて、その死を宥められ、高野山に〓居をしめら, をついやしたまはゝ、上方の敵覺束なしとおほしめされ、森右近大夫忠, 〔眞田家譜〕乾三十一代昌幸、, る、慶長十四年、かの地にをいて死す、年六十五、室は菊亭右大臣晴季か女, 年己亥、兩兄信綱、昌輝、參州長篠ニ於テ戰死スルニ依テ、武田勝頼ノ命ヲ以, 稱ス、幸隆ノ三男ナリ、武田晴信ノ命ニ依テ、武藤氏ノ家跡ヲ繼キ、武藤喜兵, 天文十六年丁未生ル、幼名源五郎ト, 慶長十六年六月四日, ○本書、十四年死去, 安房守, ト稱ス, トセルハ誤レリ、, 高野山ニ, 武田晴信, 〓居, ノ奥近習, 六人ノ一, 二六八

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  • 安房守
  • ト稱ス
  • トセルハ誤レリ、

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  • 高野山ニ
  • 武田晴信
  • 〓居
  • ノ奥近習
  • 六人ノ一

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  • 二六八

注記 (26)

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