『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.1170

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ゝかゆへ、本多中務大輔忠勝をして、御味方に參るへしとの御書を下さ, かに降參せは、太閤に申て恩赦の御沙汰に及はれむとの御旨をつたふ, れ、榊原式部大輔康政、井伊兵部少輔直政等も仰をつたふといへとも、應, といへとも、さらに歸順せす、かさねて、忠勝、康政、直政等甘繩城にきたり, て仰をつたへ、其恩命三度に及ひて、卒に御むねにしたかひ、城をさけ渡, 皆太閤に降り、小田原城の陷む事も、日をめくらすへからす、氏勝すみや, しまいらせさるにより、なを、都筑彌左衞門爲政及ひ甘繩の大應寺龍達、, 御入國のとき、下總國佐倉, 重高及ひ本多忠勝か手の案内者となりて、關東の諸城を攻落す、この年, 照宮にまみへたてまつり、御〓下に屬し、淺野彈正少弼長政、木村常陸介, 御譜代の列に加へらる、慶長五年、上杉景勝を御, し、四月二十八日、男繁廣とゝもに御陣營にまいり、忠勝を先容として、東, 招かるゝとはへとも、これに應せす、東照宮かねて氏勝をしろしめさる, 松下三郎右衞門某等をして御書をもたらし、北條家の領内關東の數城, において壹萬石をたまはり、, 征伐のとき、男繁廣と共に御供に列し、小山にいたる、是年、上方の逆徒起, 慶長十六年三月二十四日, 牒餘録後編ニハ「總州岩, 留城一萬二千石」トアリ, 貞享及ひ今の, 呈譜岩富〓〓ヽ, 譜, 〇, 家康屡〻, 使ヲ遣シ, 降ヲ諭ス, トナル, 譜代ノ列, 一一七〇

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  • 牒餘録後編ニハ「總州岩
  • 留城一萬二千石」トアリ
  • 貞享及ひ今の
  • 呈譜岩富〓〓ヽ

頭注

  • 家康屡〻
  • 使ヲ遣シ
  • 降ヲ諭ス
  • トナル
  • 譜代ノ列

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  • 一一七〇

注記 (29)

  • 1714,718,62,2136ゝかゆへ、本多中務大輔忠勝をして、御味方に參るへしとの御書を下さ
  • 1131,714,59,2138かに降參せは、太閤に申て恩赦の御沙汰に及はれむとの御旨をつたふ
  • 1600,706,60,2153れ、榊原式部大輔康政、井伊兵部少輔直政等も仰をつたふといへとも、應
  • 1013,709,61,2146といへとも、さらに歸順せす、かさねて、忠勝、康政、直政等甘繩城にきたり
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