『大日本史料』 11編 2 天正10年7月 p.175

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成候、それより九月十一日まて互に掛あい無御座候、, る〓からず、夜に入すみやかに兵を引そさるだし、忠次がいはく、今夜もし, 砲之者千人御ふせ置被成候、三日之日之せつに、川内通り敵やふり候て、, 兵果していたる、忠次則み〓から其陣屋をやきて引退く、敵おふて來るを、, より、忠次に命じて諏訪に趣しむ、忠次三千餘の人數を引ゐて諏訪にむか, 同年六月下旬、大權現甲州にいり, かへして、明日兵をひかば軍全からん、衆卒これにしたがふ、翌日小田原の, 通り可申と申ニ付、うしろには石垣をつき、石垣之向にはたうかの社を, 爰を引さらは、敵にをひうたれそこと〳〵く死せん、今夜はまづ小荷駄を, ふ、しかるに祝部數日城をさらずして、ひそかに小田原へ加勢をこふ、北條, たまひ、新府の城におはしますとき、諏訪の祝部その城を獻ぜんといふに, をたて、猿とりはら、さいかちはら、からたちはらを付、かあいを被成、弓鐵, かたとり、取出之城こ被成候、五日之日はゑみたうの山を取出之城と被, 氏政四萬の兵を率して諏訪をすくふ、忠次が士卒等いひけるは、大兵あた, 中へ之海道を水堀にほりきり、堀之底にゑらひを立、上土にしやくの木, 〔寛永諸家系圖傳〕九酒井忠次, 左衞, 門尉、, 工事ヲ施, 先ヅ退力, 駄ヲシテ, 忠次小荷, 家康防禦, シム, 天正十年八月一日, 一七五

割注

  • 左衞
  • 門尉、

頭注

  • 工事ヲ施
  • 先ヅ退力
  • 駄ヲシテ
  • 忠次小荷
  • 家康防禦
  • シム

  • 天正十年八月一日

ノンブル

  • 一七五

注記 (26)

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