『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.722

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として建しところなり、, 〔寛政重修諸家譜〕三松平, をよふ、忠頼これをさゝへむとして、左平次かために害せらる、この事に, 與力の士久米左平次某、服部半八郎某と武道の事をいひ爭ひて刄傷に, 慶長十二年より、伏見城をま, 番の頭をつとむ、十四年九月二十九日、松平左馬允忠頼を招きて宴會す, 三河國のうちにをいて一萬石をたまひ、從五位下に敍し、市正と稱し、大, より忠胤も罪をかうふり、十月十六日死をたまふ、室は右大臣信長の女、, 慶長五年關原御陣のとき、兄勝成, とおなしく曾根の壘をまもり、また大垣の城をせめて功あり、そのゝち, 度有しを咎められ改易せらる, もること凡三年に及ふ、十四年十月十六日、さきに伏見城を守りしとき、越, 大貳母は某氏、僧となり、福山の妙蓮寺に住す、この寺は勝成か母の菩提, 忠利, 忠胤母は勝成におなし、, -, 〓一-, ○寛永諸家系圖, 傳ニハ忠胤闕ク、, ○都筑右京, 進吉豐女, 九郎右, 衞門, 女子母は上におなし、南條若狹宜政か妻、, 女子母は上におなし、勝成か養女、, 大貳, 木, 三, 忠胤ノ履, 歴, 松平忠利, 慶長十四年十月十六日, 七二二

割注

  • ○寛永諸家系圖
  • 傳ニハ忠胤闕ク、
  • ○都筑右京
  • 進吉豐女
  • 九郎右
  • 衞門
  • 女子母は上におなし、南條若狹宜政か妻、
  • 女子母は上におなし、勝成か養女、
  • 大貳

頭注

  • 忠胤ノ履
  • 松平忠利

  • 慶長十四年十月十六日

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  • 七二二

注記 (33)

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