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年、東照宮將軍宣下ありて御參内のとき、供奉に列し、御沓の役を勤む、これよりの, ち三河國に御鷹狩の時、しは〳〵居城に渡御ありて、康俊御膳を獻し、時服・白銀等, また關原の役には、御後備となり、御歸陣のとき、三河國吉田城を守衞す、六年二月, にましますのとき、石田三成隱謀のきさしありて、彼地おたやかならす、康俊晝夜向, 加恩ありて、三河國西尾の城をたまひ同國幡豆郡のうちにして、二万石を領す、八, 質となりて、京師におもむき、聚樂にあり、八月關東にうつらせたまふのゝち、下總, 嶋の館に候して、忠勤を勵す、五年、上杉景勝御征伐のとき、したかひたてまつり、, 御諱の字をたまはり、康俊とめさる、十七年、家を繼、十八年、小田原陣のとき、人, 國匝瑳郡小篠郷にをいて、五千石をたまふ、慶長元年、從五位下に敍し、四年、伏見, 天正三年長篠合戰のとき、東照宮の仰により、織田家の質となりて、岐阜の城にいた, のち三河國にかへり、八年、忠次か養子となり、十年、御前にをいて元服し、, 康俊實は酒井左衞門督忠次か二男、母は清康君の御息女、永祿十二年、吉田に生る、, 母は俊次におなし、本多伊織忠重か祖、, る、, 女子母は上におなし、前田大和守利孝か室、, 七歳、, 時に, 木工之助、, 景次, 將監、, 女子母は上におなし、前田大和守利孝か室、, 從フ, 家康ヨリ偏, 諱ヲ與ヘラ, 家康ノ上杉, 養子トナル, 本多忠次ノ, 景勝征伐ニ, 西尾城主ト, ナル, ル, 元和七年二月七日, 一一九
割注
- 七歳、
- 時に
- 木工之助、
- 景次
- 將監、
- 女子母は上におなし、前田大和守利孝か室、
頭注
- 從フ
- 家康ヨリ偏
- 諱ヲ與ヘラ
- 家康ノ上杉
- 養子トナル
- 本多忠次ノ
- 景勝征伐ニ
- 西尾城主ト
- ナル
- ル
柱
- 元和七年二月七日
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- 一一九
注記 (33)
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