『大日本史料』 12編 4 慶長十一年四月~同十二年七月 p.89

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

五郎左衞門康高か女、, 譽向白, ことをよく辨へたれ、その他匹夫の勇は、何の盆あらんやとの御諚あり, は上におなし、天正十三年濱松に生る、某年、台徳院殿より, 號す、館林の善導寺に葬る、このとき、東照宮より、近侍の臣をして弔はせ, たてまつりければ、軍法をきかせられんには、康政こそ、多勢を指揮する, 十年、台徳院殿御上洛のとき、從ひたてまつ, のとき、父とゝもにしたかひたてまつり、また宇都宮より、上田城に御發, けるとなり、五月十四日、彼地にをいて卒す、年五十九、上譽見向養林院と, 事を問せたまふにより、某等をめして、武道を談したまふのよしこたへ, たまひ、台徳院殿より、阿部備中守正次をもつて賻銀をたまふ、室は松平, 向のときも扈從す, 忠長母, 御諱字を賜はり、從五位下伊豫守に敍任し、慶長五年、上杉景勝を御征伐, 九年二月十五日、館林にをいて卒す、年二十、梅, 康勝母き花房氏、天正十八年、小田原の驛舍に生る、慶長三年、はしめて東, 照宮、台徳院殿に拜〓す、, 駿府におはしましけるとき、江戸より參る者あり、ときに台徳院殿の御, 〓徳院と號す、, 時に, 九歳, ○康高, 寛永系, 時に十, 六歳, つ女、, 圖光白, 賻銀ヲ賜, 葬地, ハル, 家康ノ信, 任, 康勝, 忠長, 慶長十一年五月十四日, 八九

割注

  • 時に
  • 九歳
  • ○康高
  • 寛永系
  • 時に十
  • 六歳
  • つ女、
  • 圖光白

頭注

  • 賻銀ヲ賜
  • 葬地
  • ハル
  • 家康ノ信
  • 康勝
  • 忠長

  • 慶長十一年五月十四日

ノンブル

  • 八九

注記 (36)

  • 1120,722,56,638五郎左衞門康高か女、
  • 529,711,57,203譽向白
  • 1576,725,68,2145ことをよく辨へたれ、その他匹夫の勇は、何の盆あらんやとの御諚あり
  • 995,1167,63,1700は上におなし、天正十三年濱松に生る、某年、台徳院殿より
  • 1344,719,68,2146號す、館林の善導寺に葬る、このとき、東照宮より、近侍の臣をして弔はせ
  • 1694,730,68,2136たてまつりければ、軍法をきかせられんには、康政こそ、多勢を指揮する
  • 284,1568,58,1282十年、台徳院殿御上洛のとき、從ひたてまつ
  • 753,723,66,2141のとき、父とゝもにしたかひたてまつり、また宇都宮より、上田城に御發
  • 1459,724,69,2143けるとなり、五月十四日、彼地にをいて卒す、年五十九、上譽見向養林院と
  • 1811,725,67,2133事を問せたまふにより、某等をめして、武道を談したまふのよしこたへ
  • 1224,725,69,2141たまひ、台徳院殿より、阿部備中守正次をもつて賻銀をたまふ、室は松平
  • 645,712,55,570向のときも扈從す
  • 1005,642,54,270忠長母
  • 878,712,68,2154御諱字を賜はり、從五位下伊豫守に敍任し、慶長五年、上杉景勝を御征伐
  • 636,1504,65,1359九年二月十五日、館林にをいて卒す、年二十、梅
  • 396,642,67,2220康勝母き花房氏、天正十八年、小田原の驛舍に生る、慶長三年、はしめて東
  • 287,712,57,713照宮、台徳院殿に拜〓す、
  • 1925,730,71,2138駿府におはしましけるとき、江戸より參る者あり、ときに台徳院殿の御
  • 526,1142,59,429〓徳院と號す、
  • 315,1438,43,111時に
  • 273,1441,40,111九歳
  • 1032,941,42,183○康高
  • 559,935,39,188寛永系
  • 675,1300,40,178時に十
  • 631,1302,42,113六歳
  • 991,947,36,115つ女、
  • 515,937,42,190圖光白
  • 1259,280,44,172賻銀ヲ賜
  • 1355,280,43,85葬地
  • 1221,286,34,67ハル
  • 1845,286,43,170家康ノ信
  • 1804,286,38,39
  • 417,271,43,86康勝
  • 1005,278,41,83忠長
  • 186,705,43,430慶長十一年五月十四日
  • 178,2443,43,81八九

類似アイテム