『大日本史料』 12編 6 慶長十四年正月~同十五年二月 p.830

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めたまふとなり、七年九月、諸將とゝもに持舟の城を攻、康成か兵一番に, 敵將室賀小泉等つゐに降參す、しのるに、この城甲斐國の押として、殊に, 中城を攻て、濱松にかへらせたまふのとき、石川數正後殿たり、康成は御, 守る、このとき富士山の麓川束等の地を加恩せられ、また諏訪原をあら, 河國に御出馬ありて、田中城をせめたまふのとき、敵將なかき鎗を提け、, 後備たるのところ、持舟城より、朝比奈駿河守信置か兵不意にをこりて、, り、みつから奮戰して敵首若干を得たり、八月諏訪原の城をせめたまひ、, 乘入、木戸をやふりて力戰し、家臣等をほくうち死す、八年五月、駿河國田, に敗北す、十年駿河國御平均ありて、同國興國寺の城を守る、このとし駿, ため牧野城と號したまふ、これ昔周の武王、殷の紂王を牧野にやふりし, 敵地に挾まるをもつて、まもることかたし、ときに松井忠次これを守ら, 後軍をうたむとす、康成數正とゝもにかへし合せて相たゝかひ、敵つゐ, ためしをもつて、このとき忠次を周防守となつけ、城をも牧野とあらた, むことをこふ、こゝにをいて康成おほせを蒙り、忠次とゝもにこの城を, 池をかたとりてまち居たるものあり、康戌刀をぬきてこれとたゝかひ, 慶長十四年十二月十二日, 諏訪原城, ヲ守ル, 興國寺城, 牧野城ト, ニ敵將ノ, 首ヲ得, 田中城攻, 甲斐ノ押, ヲ守ル, 改ム, 八三〇

頭注

  • 諏訪原城
  • ヲ守ル
  • 興國寺城
  • 牧野城ト
  • ニ敵將ノ
  • 首ヲ得
  • 田中城攻
  • 甲斐ノ押
  • 改ム

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  • 八三〇

注記 (27)

  • 998,730,70,2143めたまふとなり、七年九月、諸將とゝもに持舟の城を攻、康成か兵一番に
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