『大日本史料』 12編 8 慶長十六年三月~同年十月 p.95

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

たまふへからすといさめけれき、太閤たちまち心とけて、入城あり、これ, わたりてたゝちに沼津城にいる、後、軍議ありて、東照宮は三萬餘騎を引, この事により、太閤に申旨ありしかは、また疑心を懷く、長政諸勢に先た, 本にして、二千五百石餘の地をあたへられ、十六年、從五位下彈正少弼に, らの事最御旨にかなふ、又、太閤の行軍の勞をおほしめし、伊奈熊藏忠次, をして、富士川に舟橋をかけしめ、諸軍勢をわたさせたまふ、時に三成又, 地を轉して、若狹一國をたまはり、小濱に住す、二十八日、近江國志賀郡坂, ちて舟橋をわたり、人をして其よしを告しむ、太閤大によろこひ、これを, 閤しはらく猶豫あるにより、長政これを聞て、この事いつはりなり、信し, 率したまひ、箱根にのほりて、山中の敵兵を討たまふへきに治定す、三成, 彼を自殺せしめ、ふたゝひ彼國におもむき、國民等を安撫す、九月五日、領, かて長政か家に渡御ありしかは、御膳を獻す、後、太閤小田原に進發あら, むとて、駿府城にいたる、この時石田三成虚説をかまへ、東照宮北條家と, 敍任し、十八年正月、台徳院殿洛にのほらせたまひ、太閤に御對顏あり、や, 御志を通したまふのよしをさゝやき、左右なく城に入ヲことをとゝむ、太, 慶長十六年四月七日, 慶長十六年四月七日, 九五

  • 慶長十六年四月七日

ノンブル

  • 九五

注記 (18)

  • 980,715,66,2140たまふへからすといさめけれき、太閤たちまち心とけて、入城あり、これ
  • 393,708,67,2150わたりてたゝちに沼津城にいる、後、軍議ありて、東照宮は三萬餘騎を引
  • 628,716,68,2138この事により、太閤に申旨ありしかは、また疑心を懷く、長政諸勢に先た
  • 1683,714,67,2143本にして、二千五百石餘の地をあたへられ、十六年、從五位下彈正少弼に
  • 861,710,70,2146らの事最御旨にかなふ、又、太閤の行軍の勞をおほしめし、伊奈熊藏忠次
  • 742,713,70,2144をして、富士川に舟橋をかけしめ、諸軍勢をわたさせたまふ、時に三成又
  • 1798,721,70,2140地を轉して、若狹一國をたまはり、小濱に住す、二十八日、近江國志賀郡坂
  • 513,708,68,2146ちて舟橋をわたり、人をして其よしを告しむ、太閤大によろこひ、これを
  • 1099,709,65,2149閤しはらく猶豫あるにより、長政これを聞て、この事いつはりなり、信し
  • 275,701,73,2155率したまひ、箱根にのほりて、山中の敵兵を討たまふへきに治定す、三成
  • 1915,720,66,2140彼を自殺せしめ、ふたゝひ彼國におもむき、國民等を安撫す、九月五日、領
  • 1449,721,66,2139かて長政か家に渡御ありしかは、御膳を獻す、後、太閤小田原に進發あら
  • 1332,718,66,2142むとて、駿府城にいたる、この時石田三成虚説をかまへ、東照宮北條家と
  • 1567,714,64,2140敍任し、十八年正月、台徳院殿洛にのほらせたまひ、太閤に御對顏あり、や
  • 1213,710,71,2152御志を通したまふのよしをさゝやき、左右なく城に入ヲことをとゝむ、太
  • 187,708,44,383慶長十六年四月七日
  • 187,708,44,383慶長十六年四月七日
  • 172,2437,43,80九五

類似アイテム