『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.409

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れを許せしかは、定盈、約の〓く自殺せんとして城をいつ、ときに信玄、定, 盈を捕へて、長篠城にをき、數日籠城の功を賞し、我手に屬せん事をすゝ, なり、東照宮、定盈に御自筆の書をたまはり、七日のあひた、この城を保ち, 信玄感賞して、猩々緋の陣羽織を三左衞門に贈る、この鐵炮は、さきに、東, 盈をもつて、山家三方の人質に換む事をこふ、すなはち御許容あり、互に, とろき、その筒をみん事をこふ、よりて、城兵塀上に出してこれをしめす、, の笠頭山に、御出馬まし〳〵、また加茂の照山に、御陣を張せたまふ事、三, 照宮より定盈にたまふところなり、そのゝち、寄手より金堀を入て、塀櫓, なり、ときに、家臣鳥居三左衞門某、大筒の鐵炮を放ちけれは、敵兵大にお, むといへとも、にいにしたかはす、ゆへに信玄、東照宮に使をまいらせ、定, に及ひしかは、定盈一人自殺して、城兵を救はむことをこひしに、信玄こ, を崩し、或は井を鑿ち、水道を斷て攻るといへとも、定盈よくこれを防き、, 翌年三月にいたれるまて、終にくたらす、しかれとも、城中水つき、士卒〓, なは、御旗をすゝめられ、たすけたまふへきよし仰下され、頓て、八名井村, 度にをよへり、しかれとも、信玄大軍なるをもつて、これを攻ること彌急, 慶長九年七月十八日, 信玄定〓, ヲ捕フ, 定盈野田, 城ヲ守ル, 天正元年, 大筒, 慶長九年七月十八日, 四〇九

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  • 信玄定〓
  • ヲ捕フ
  • 定盈野田
  • 城ヲ守ル
  • 天正元年
  • 大筒

  • 慶長九年七月十八日

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  • 四〇九

注記 (24)

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