『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.411

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信峯、相木市兵衞某等、菅沼刑部少輔某を先導とし、二十九日の曉、城ちか, 内に砦を構へて住すといふ、, くすゝみ來る、家臣等、敵の大軍を見て、籠城叶ぬましきよし諫めしかは, たり、其疵より、この病を發せしところなりとそ、のち定盈は、下條村堀, 卒急を告れともおとろかす、ときに山口五郎作某、利害を陳て諫むるに, のとき、本城破壤のところ多きにより、大野田のうちに城を築てうつり, た定盈か大野田の新城を攻んとて、山縣三郎兵衞昌景、小笠原掃部大輔, 田寺にして、癰腫をやみて沒す、これさきに、鳥居かうちたる鐵砲にあ, 屬せむことをすゝむといへとも、したかはさりしかは、つゐに山家三, 七月二十日、長篠城を攻たまふのとき、久間中山に附城を築き、酒井左衞, 門尉忠次、松平上野介康忠とゝもにこれを守る、二年、さきに野田城沒落, 定盈、斥候を出してこれをうかゝひ、防戰せんとて、閑室に入、謠を諷ひ、士, 方の人質と相かふ、これより信玄は、野田をしりそき、三河國田口の福, になりて、定〓城を出、このとき信玄、定盈か籠城の武功を感し、旗本に, 住す、四月十五日、勝頼、三河國に出張し、足助、安城、大沼等の諸城を陷れ、ま, 野田城ニ, 定盈ヲ大, 武田勝頼, ニツキ病, 攻ム, 因ノ一説, 信玄卒去, 定〓軍中, 二謡ヲ諷, 慶長九年七月十八日, 四一一

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  • 野田城ニ
  • 定盈ヲ大
  • 武田勝頼
  • ニツキ病
  • 攻ム
  • 因ノ一説
  • 信玄卒去
  • 定〓軍中
  • 二謡ヲ諷

  • 慶長九年七月十八日

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  • 四一一

注記 (26)

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