『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.407

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て、これを守らしめ、檄をはせてこの趣を言上し、すなはち兵をすゝめて、, 宇利郷にいたり、東照宮をむかへたてまつり、遠江國に御うち入の先陣, の次郎右衞門忠久、をよひ井伊谷の近藤石見守康用、瀬戸の鈴木三郎大, たへん事を約し、三士の人質を受取、互に誓詞を贈る、こゝにをいて、定盈, すゝみ、井伊谷城を攻落し、また刑部城を陷れ、家臣菅沼又左衞門某をし, さしを通し、江間加賀守某は、御摩下の士に内應し、兩將互に異心を懷き、, 文に、誓詞を添てたまふ、定盈もまた、己か釆地吉田郷のうちを、わかちあ, りしかは、定盈か軍に屬せらる、やかて、先の三士を案内者として、先陣に, 同士軍して戰死せしかは、つゐに濱松城沒落す、そのゝち、馬伏塚の小笠, 濱松城にむかふ、城兵飯尾連龍か家臣江間安藝守某は、武田家にこゝろ, たまはるへきむねの、御判物を下され、三士にも、采地を宛行るへきの證, 二日、遠江國の本領川合、高部、ならひに新地數箇所にして、千五百貫文を, をうけたまはる、このとき、後藤覺藏某、ひそかに定盈に就て、御〓下に參, 夫重時等と相謀り、事の樣を岡崎に言上せしかは、御感ありて、十二月十, 遠江はいまたしたかはさりけれは、定盈仰をうけたまはりて、同族都田, 入リノ先, 定+家康, ガ遠州打, 陣トナル, 慶長九年七月十八日, 四〇七

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  • 入リノ先
  • 定+家康
  • ガ遠州打
  • 陣トナル

  • 慶長九年七月十八日

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  • 四〇七

注記 (21)

  • 605,698,62,2149て、これを守らしめ、檄をはせてこの趣を言上し、すなはち兵をすゝめて、
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