『大日本史料』 10編 14 天正元年2月~同年3月 p.91

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きに非すと、御人數御催促の所、軍勢共、去ル味方ヶ原の戰に手負、膏藥たらけ五千餘人、, んて、城の水の手を城外へ取る故に、城兵飢〓に及ふ故、菅沼新八郎信玄へ使を立、諸卒, に返答遲く、公暫く待せ給へ共、小栗歸り來らさる故、眉を燒くの急に至て、緩々と待へ, 餘り有、切腹に及はす、當城をさへ受取れは、兩人を助くへし、依之定盈・忠政軍兵を引, 玄、再ひ野田の城を攻る由聞召、小栗大六を御使として、信長へ援兵の義被仰遣けるに、, 信長には、未タ信玄へ和睦の志ある故、其憤を恐れて、或は風氣と稱し、又は他行のよし, 揉に捫て野田をさして走させ給ふ、此時信玄は、城の樣子を熟々と熟覽、後陣の金掘を呼, の命を助けられは、定盈・忠政罷出、切腹せんと云送る、信玄返事、貳人の武勇感するに, かしこに隱れ、悄然として城中へ引入る所を、やるなと追蒐るに、兼て用意の石弩を放し、, 大木・巨石を雨の降如く投落すに依て、跡部か兵〓を亂せし如く、散々に打落さる、勝資, 定盈あわてゝ退く、勝資左見つる事よ、何方迄もと追掛ルに、案内知たる定盈、爰に顯れ、, も辛くして、漸一命を遁れたり、是ゟしては、再ひ城を攻打す、遠卷して扣たり、公は信, 具し出る、信玄諸老臣を呼ひ、兩人か英雄、生捕て家來にすへし、四臣諫る、信玄不聞、, 大に立腹、五千餘人しやつ逃すなと、巴の旗眞先に立かつき、連連黒烟を立てゝ責登る、, 放チ大木巨, 入リ石弩ヲ, 武田方ヲ退, 石ヲ落シテ, 定盈城中二, 天正元年二月十七日, 九一

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  • 放チ大木巨
  • 入リ石弩ヲ
  • 武田方ヲ退
  • 石ヲ落シテ
  • 定盈城中二

  • 天正元年二月十七日

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  • 九一

注記 (21)

  • 895,689,58,2180きに非すと、御人數御催促の所、軍勢共、去ル味方ヶ原の戰に手負、膏藥たらけ五千餘人、
  • 675,697,57,2171んて、城の水の手を城外へ取る故に、城兵飢〓に及ふ故、菅沼新八郎信玄へ使を立、諸卒
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