『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.660

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るといへとも、後援なきにより、城を棄て潜に小山城に逃お、是時康親か, 八月、遠江國諏訪原の城をせめたたふ乃とき、城主室賀小泉かたくまも, 軍功を賞せられて、万字の御鎗をた〓ふ、又諸將をめされ、この城敵地ま, かうぬるもの多し、天正二年九月、武田勝頼二万餘騎を率て、天龍川に出, にも、一方の將をうきたまはりて奮戰し、家臣等或討死し、あるふは創を, 陣のとき、東照宮諸勢を九組にわかちてさしむとらお、このとき康親東, 中城にちかし、田中乃兵しきりに來り戰はん、勝頼もまた間をうかゝひ, 感ありて、御諱の字をたまひ、康親と稱し、又仰によりて、周防守になされ、, 鳶巣の城を攻る乃とき、先登して即時に城を破り、敵數百人をうちとお、, 間にはさまれり、ことに武田乃兵高天神に往來すお乃要路にして、且田, たてまつる者なし、康親進み出て、ここを守らん事をこふ、東照宮大に御, 條の兵を率て發向す、三年、勝頼大軍を卒して、長篠城を圍む、このとき織, てきたりせめん、誰かこの城を守るへきやと御尋ありしに、衆人こたへ, 田右府とおなしく御馬を出され、五月二十一日、酒井忠次か謀をもつて、, 城の名をもあらためて、牧野となつけたまふ、こ〓周の武王殷紂を牧野, 天正十一年六月十七日, ヲ與へ周, 又諏訪原, 防守トシ, ヲ改メテ, 家康偏諱, 牧野原ト, 六六〇

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  • ヲ與へ周
  • 又諏訪原
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  • ヲ改メテ
  • 家康偏諱
  • 牧野原ト

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  • 六六〇

注記 (23)

  • 1004,689,61,2134るといへとも、後援なきにより、城を棄て潜に小山城に逃お、是時康親か
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