『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.434

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へきむね、恩命を蒙る、, のとき、はしめてまみえたてまつる, と仰ありて、松平の御稱號、をよひ御諱の字をたまひ、康元と名のる、また, このとき御座ちかくめされ、我, 兄弟すくなし、いまよりのち勝元等をして、同姓の兄弟に准せらるへし, るゝとき、政良も處士となり、京師に蟄居す、, 智多郡阿古居に生る、永祿三年三月、東照宮、父俊勝か阿古居の邸に渡御, 康元、母は水野右衞門大夫忠政か女、傳通院の御方、天文二十一年、尾張國, 政良, 良助内藏丞母は某氏、紀伊大納言頼宣卿に仕ふ、, 三河國平均のときは、康元兄弟三人をまねきて、創業の援となしたまふ, 慶存母は某氏、僧となり、品川海晏寺の住職たり、, 八月十四日卒す、年, 五十二、傑傳宗英大興院と號す、關宿の宗英寺に葬る、これ、曾て康元か開, 尿久圖書母は某氏、尾張大納言義直卿につかふ、, してのち、毛利甲斐守秀元か室となる, 八年, 母は某氏、駿河大納言忠長卿につかへ、忠長卿封地を收めら, 女子母は某氏、台徳院殿の御養女となり、松平伯耆守忠一に嫁し、忠一卒, ○以下、家譜ト大抵同, 備前守、, 號普伯、, 時に, ○慶, ンキ二ヨリ、中略ス, 九歳, 長, 圖書, ビ御諱字, 康元等二, ヲ賜フ, 松平氏及, 慶長八年八月十四日, 四三四

割注

  • ○以下、家譜ト大抵同
  • 備前守、
  • 號普伯、
  • 時に
  • ○慶
  • ンキ二ヨリ、中略ス
  • 九歳
  • 圖書

頭注

  • ビ御諱字
  • 康元等二
  • ヲ賜フ
  • 松平氏及

  • 慶長八年八月十四日

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  • 四三四

注記 (34)

  • 237,727,60,633へきむね、恩命を蒙る、
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