『大日本史料』 12編 37 元和七年正月~同年六月 p.393

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守高虎か女、, 室は藤堂和泉, 日卒す、年三十六、機外宗先法泉院と號す、葬地一正におなし、, 駒將監某・萱生兵部某等、拜〓をゆるされ、上意をかうふり、兵部某に御刀をたまふ、, まふ、十九年、大坂の役に出陣し、船場堀邊に備ふ、御和睦の後、家臣森出羽某・生, 日、駿府にをいて、松平陸奧守政宗とおなしく、御茶亭に候して、肩衝の御茶入をた, 二十一日、其勞を慰せられて、御書をたまふ、この月、從四位下に昇り、七年六月五, 元和元年の役にもしたかひたてまつる、二年、大坂城普請の事をうけたまはり、二月, 十五年四月、遺領を繼、十六年正月九日、封地の御朱印をたまふ、十七年二月二十八, 將監と稱す、慶長十年四月、台徳院殿、將軍宣下御拜賀として御參内のとき供奉し、, 正俊母は秀重か女、天正十四年、近江國高嶋郡に生る、某年、正五位下に敍し、左近, 一〓, 女子母は某氏、藤堂和泉守家臣藤堂宮内長政か妻、, ○高松, 法泉寺, 女子母は某氏、松平石見守輝澄か室、, 女子母は某氏、藤堂和泉守家臣藤堂宮内長政か妻、, 母は某氏、家臣となる、, 正慶, 女子母は某氏、藤堂和泉守家臣藤堂内匠高義か妻、, 佑、, 隼人, 履歴, 法號, 元和七年六月五日, 三九三

割注

  • ○高松
  • 法泉寺
  • 女子母は某氏、松平石見守輝澄か室、
  • 女子母は某氏、藤堂和泉守家臣藤堂宮内長政か妻、
  • 母は某氏、家臣となる、
  • 正慶
  • 女子母は某氏、藤堂和泉守家臣藤堂内匠高義か妻、
  • 佑、
  • 隼人

頭注

  • 履歴
  • 法號

  • 元和七年六月五日

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  • 三九三

注記 (26)

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