『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.123

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母は某氏、兄吉政か家臣となる, 五位下信濃守に敍任す、このとし播磨國龍野城をたまひ、二萬石の地を, 政本光院と號す、京都本國寺に葬る、室は豐臣太閤秀吉の姑, らる、天正十三年和泉國岸和田城を賜ひ、三萬石を領し、のち東照宮の御, 吉政母は秀吉の姑、永祿八年中村に生る、豐臣太閤ににかへ、文祿二年從, 秀政母は某氏、天文九年中村に生る、豐臣太閤につかへ、諱の字をさつけ, 女子母は某氏、豐臣家の臣友松甚四郎某か妻、, 母は某氏、兄秀家か養子、, 秀清, 今の呈譜重勝に作る、母は安宅氏、兄秀家か養子、, 摩下に屬す、慶長九年三月二十二日、大阪にをいて卒す、年六十五、陽雲日, 日充母は某氏、僧となり、京師本國寺の榮松院に住職す、, 重堅, 秀家, 吉政, 三尹, 累世尾張國中村に住す、, 女子母ハ伊東掃部助治明か女、加藤左近, 大夫貞泰か室、, 吉英, -, 甚太, 助、大隅守、, 孫兵, ○慶長八年三月廿三日, 萬助、五郎, 右京、右京大夫大, 和守從五位下, 卒ス、事蹟ハ其條ニアリ, 郎、, 衞、, 小才次、信濃守、大和, 守、播磨守、從五位下、, 秀吉ノ偏, 小出秀政, 諱ヲ受ク, 小出吉政, 慶長九年三月二十二日, 一二三

割注

  • 甚太
  • 助、大隅守、
  • 孫兵
  • ○慶長八年三月廿三日
  • 萬助、五郎
  • 右京、右京大夫大
  • 和守從五位下
  • 卒ス、事蹟ハ其條ニアリ
  • 郎、
  • 衞、
  • 小才次、信濃守、大和
  • 守、播磨守、從五位下、

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  • 秀吉ノ偏
  • 小出秀政
  • 諱ヲ受ク
  • 小出吉政

  • 慶長九年三月二十二日

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  • 一二三

注記 (39)

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