『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.662

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正重を討とお、時に一色左京某御勘氣を蒙り、康親かもとに蟄居して、こ, よひ松平甚太郎家忠、牧野右馬允康成仰をかうぬり、駿河國持舟の城を, 田竹右衛門元次は、三浦兵部少輔某をうち、尾崎半平定正は、向井伊賀守, て、御味方乃後軍を襲ひ討んとす、石川數正、酒井重忠をよひ康親等かた, 松に歸りたまふ乃時、持舟城より朝比奈駿河守信置か兵不意におこつ, この辭を證とすへしといひけれは、人みすだの忠烈を感す、七年、康親を, し合せて力戰せしかは、〓忽敗北し、うたおゝもの多し、このとき家臣岡, の陣にあり、岡田元次三浦か首を一色に與へて、其戰功をもつて赦免を, のことく康親諸事を沙汰すへき旨御書をた万はる、十年、駿河國御平均, たまふ御鎧乃片袖をよひ御紋の御旗をたまふ、九年十二月二十日、先に, 請しむ、東照宮これをしこしめされ、元次か功をゆつお事を善して、著し, をむ、八年五月、御味方の諸勢田中乃城を攻、城邊ま麥を苅、兵を收めて濱, ありて、北條乃備として、伊豆の境三枚橋にをい〓城を築き、康親をして, 松平甚太郎家忠卒して、薩摩守忠吉卿に其遺跡をたまはおにより、是迄, 守らしむ、このとき駿河國河東の地にをいて、二万五千貫文餘の領知を, 天正十一年六月十七日, ヲシテ松, 少輔ヲ斬, 後ヲ繼ガ, シメ康親, 平家忠ノ, 岡田元次, 三浦兵部, 家康忠吉, フ後見ト, 六六二

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  • ヲシテ松
  • 少輔ヲ斬
  • 後ヲ繼ガ
  • シメ康親
  • 平家忠ノ
  • 岡田元次
  • 三浦兵部
  • 家康忠吉
  • フ後見ト

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  • 六六二

注記 (26)

  • 993,700,66,2123正重を討とお、時に一色左京某御勘氣を蒙り、康親かもとに蟄居して、こ
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