『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.165

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敵方より、いのれな計略あらむもしるたろらす、もとより北條乃押をう, れり、長茂こたへそ、いまた上方芫實否詳ならけるに、はや兩城を退かき、, りしかは、御感ありて、家忠に命せら〓、康成をこれに副らる、こゝにをい, の押にして、ことに敵地に挾まなをも〓ず、これを守よことか壹し、しか, にしたかひ〓、かの地にある乃ところ、康親、重次より、使をもつ〓、織田右, 河國御平均あり、北條家の押とし〓、三枚橋は松平周防守康親、清水は本, て、長茂、康成にしたかひ、かの地に出張して、守衞する事八年、こ〓康成か, らす、三枚橋、清水乃兩城をひらを、兵を興國寺にあ浮め〓るもるへしと, ひ〓かに小山に逃れのるにより、其守將を撰は〓、ときにこ〓城甲斐國, 〓に、松平甚太郎家忠、をよひ牧野康成これを守らむ事を、こひたずが浮, 多作左衞門重次、興國寺は牧野康成これを守衞すむ母より、長茂も康成, 〓た〓はりし身なれは、〓とへ大軍を率おた、攻なといふとも、をの〳〵, 家に長茂あり、家忠か家には松平周防守康親あなをもつ〓れり、十年、駿, 府生害の告あり、今われ〳〵微勢にしく、三所にわかるゝ事、しかなへか, 賀小泉かたく守ぬとい〓とも、後援なきにより、八月二十四日、城を棄〓, 慶長十七年十月二十二日, 諏訪原城, 寺城ヲ守, 及ビ興國, 長茂ノ膽, 略, 一六五

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注記 (22)

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