『大日本史料』 11編 4 天正11年4月 p.663

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るのゝち、たてゝ繼室ととしにや、これを詳にせす、, か名いよ〳〵あらはお、十一年二月十八日、領知の御判物を告万ひ、六月, 康重母は重吉か女、永祿十一年、東條に生る、天正八年、はしめて東照宮に, 河國幡豆郡東條の法應寺に葬る、室は江原丹波守政秀か女、卒す、繼室は, 十七日、三枚橋城にありて卒す、年六十三、巖譽豐月崇輝空閑院と號す、三, 門元次をして、韮山の近邑徳倉の砦を守らしめ、或は康親みけから兵を, 率ゐて敵地を侵す、これにより北條の勢城邊にちか切く事を得す、康親, 〻挑戰ひ、兵士多く討死し、あるひは創をかうぬる、また家臣岡田竹右衞, 按するに、寛永系圖、康重か母を重吉か女とし、康重か妹の母を政秀に, 侍女にして、康親にたまはりしなれは、はしめ妾にして、政秀か女卒に, 松平次郎右衞門重吉か女、, 遺領を繼、父に繼て三枚橋乃城を守り、父か計策にならひて、士卒を用ふ, 女として、其順次たかへるかことし、しかれとも重吉か女ぬ、東照宮の, 賜ふ、このときにあたりて、伊豆國韮山の城主北條美濃守氏規としは〻, 十一年三月十六日、御諱乃字をた万はり、康次と稱す、六月、, 拜〓す、, 三歳、, 時に十, 應寺ニ葬, 東條ノ法, 家康侍女, ヲ康親ニ, 與フ, 康重初メ, 康次ト稱, ル, 天正十一年六月十七日, 六六三

割注

  • 三歳、
  • 時に十

頭注

  • 應寺ニ葬
  • 東條ノ法
  • 家康侍女
  • ヲ康親ニ
  • 與フ
  • 康重初メ
  • 康次ト稱

  • 天正十一年六月十七日

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  • 六六三

注記 (28)

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