『大日本史料』 12編 7 慶長十五年閏二月~同十六年三月 p.1156

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寺に葬る、室は石川日向守家成か女、, をかうふる、其のち、同國土井の郷は舊領たるにより、請申のところ、所務, 宮居城に渡御のとき、御前にめされ、我はしめ弓箭をとりて此地よりお, 叛のきこへあるにより、これより軍を旋したまひ、台徳院殿、眞田昌幸か, これり、汝か家累世忠功を抽するかゆへに、この城をたまはるのよし仰, 伐のときしたかひたてまつり、下野國小山にいたる、ときに、石田三成謀, 居城信濃國上田を攻たまふにより、康重したかひたてまつり、また、諸軍, すへきむねおほせ下さる、八年、東照宮將軍宣下御參内のとき、騎馬にて, 殿より、松平助十郎某をして問せたまひ、御内書を下さる、二十二日、かの, をあらため、加恩ありて三河國岡崎城をたまひ、五萬石を領す、のち、東照, をひきゐて上方におもむかせたまふの時、康重後殿たり、六年二月、白井, 地にをいて卒す、年五十八、陽山道雪鳳翔院と號す、遠江國横須賀の撰要, 供奉し、十六年三月、岡崎にをいて病にかゝるのよし聞しめされ、台徳院, 康紀母は家成か女、天正七年田原に生る、十九年、東照宮より御諱字をた, まはり、康紀と稱し、一文字の御刀を賜ふ, 慶長六年、從五位下伊勢, 慶長十六年三月二十二日, 時に十, 三歳, 岡崎ニ移, ヨリ三河, 上野白井, 寺ニ葬ル, 遠江撰要, 康紀, 一一五六

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  • 時に十
  • 三歳

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  • 岡崎ニ移
  • ヨリ三河
  • 上野白井
  • 寺ニ葬ル
  • 遠江撰要
  • 康紀

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  • 一一五六

注記 (26)

  • 390,684,59,1082寺に葬る、室は石川日向守家成か女、
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