『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.276

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兀和元年五月、また大坂に御, か陣にあり事、自ら首級, の勞を賞せら多、, 前守利常か陣の右に備へ、七日惣攻のとき、兵をすゝめ、大手千貫櫓の下に, 至りて相たゝかひ、兜の眉間を銕炮にて打碎かるゝといへとも、幸にして, 横山長知山城大坂兩度の御陣には、利長か, 死をまぬかな、こ乃日康紀か手に首二百十級を得たり、家臣等死傷するも, を得て、御本陣にいたる、東照宮、忠利か年齡をたつ手させたまひ、汝か祖父, 櫻門あて乘いり、首二級を得に遂に討死す、妻は石川小隼人某か女, 出陣あるにより、二陣に列してしたかひたくまつり、彼地にをいて、松平筑, 〔寛政重修諸家譜〕, 陣乃とき、かの地におもむき、五月七日の合戰に、加賀の兵に加はり、城中, 元和元年五月、大坂御陣のとき、父, 康重も、十六歳にして、はしめて掛川乃城攻に出陣して功名す、汝も祖父に, 忠利, ○岡山方面ノ戰況、其二本多康紀、同康俊, 子利常にしたかひ、功ありしかは、御歸陣の後、本多佐渡守正信をも〓て、そ, 〔寛政重修諸家譜)〕, 本多康紀, のおほし、, 元和元年五月七日, 伊勢, 豐後, 十四, 五百九, ○康, 紀, 六百九, 守、, 守、, 十一, 千貫櫓ノ, 下ニ至ル, 本多康紀, 同忠利, 横山長知, 元和元年五月七日, 二七六

割注

  • 伊勢
  • 豐後
  • 十四
  • 五百九
  • ○康
  • 六百九
  • 守、
  • 十一

頭注

  • 千貫櫓ノ
  • 下ニ至ル
  • 本多康紀
  • 同忠利
  • 横山長知

  • 元和元年五月七日

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注記 (38)

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