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跡をたまふ, 乃武威を稱せし意なりしと核、それより平野の陣屋に歸りし後も、しは, に玉造より敵六七十騎すゝみ來る、正次これを見て、討とるへきよし下, 知すといへとも、兵粮を携へさな故に、士卒すゝみえす、正次ひとりはせ, 陣に赴き、兩備を敵陣近くよすへきむ〓仰を〓たふ、時に天王寺ならひ, ろにして、十年窓下無人問、一擧成名天下知といへお二句あり、これ太閤, めくりて相戰ひ、首級を得たり、しかれともぬかくすすんて創をかうぬ, を御覽ありて、御手例から藥をたまひ、又御料の茶碗もて湯を壹まふ、こ, るかゆへ、御陣に歸り、上旨を傳へしよしを言上す、東照宮手負たるけあ, 養せしむへきむね仰をかうぬる、十九日、其創逐に愈すして死す、年五十, の器は、往年明人より豐臣太閤に獻せしを、東照宮に贈らせたまふとこ, 一、法名了榮、攝津國平野堤に葬よ、妻は家臣八田氏の女、, 〳〵御使を下されてたりねさせ〓たひ、醫師をよひ親族等よろしく療, 正珍母は某氏、元和元年、はしめて台徳院殿にまみえたてまつり、父か遺, 陣の檢使をう挙たあはる、五月七日、松平肥前守利常、本多豐後守康紀か, 時て十, 二歳、, 平野ニ死, 正次負傷, 勞ル, 家康之ヲ, 安藤正珍, 元和元年五月七日, 四六五
割注
- 時て十
- 二歳、
頭注
- 平野ニ死
- 正次負傷
- 勞ル
- 家康之ヲ
- 安藤正珍
柱
- 元和元年五月七日
ノンブル
- 四六五
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