『大日本史料』 12編 16 慶長十九年十一月~同年十二月 p.722

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に大坂方となりたる故、浪人となりしか、秀頼公へ召出佐れ、大坂へ籠城侍, 下にかゝやき給ふ折〓し、大坂を捨て御味方に參り候はゝ、行末を考へた, るなとゝ人にもうしろ指をさゝれ、父信幸草の陰にて思ふ所もこれあり, りしを、家康公、かれか器量諸人に越たる事をしろしめされ、叔父隱岐守を, 又申けるは、士たるものゝ心を變するは義にあらす、若秀頼公御和睦あら, をあたふ〓し、汝今一度まいりて、此旨を言きかすへしとの上意にて、隱岐, 守、再左衞門佐かもとに來り、汝か諸人に越たるをし法しめされ、再御使を, 存といへとも、關か原にて御敵と罷成、其後浪々の身たりしを、秀頼公へ召, 勤むへき旨にて來れり、ことに一族みれ〳〵したかひ奉る事なれは、予か, 出され、多の人數を預り候へは、弓矢取身の面目にて候、今家康公御威光天, 遊さるへきとの上意也、然るに左衞門佐、隱岐守にむかひ申けるは、難有奉, 言ところを父乃ことはとおもひ、偏に上意に任すべしいへとも、左衞門佐, 候間、尊命にしたかひかたしとそ申けるを、家康公重く、しからは信州一國, はこそ家康公の御諚ももたしかたたれは、所領を給はるにも及はす、一族, 御使として仰遣されたるは、大坂を背き關東へきたる〓し、相應に御取立, 信州一國, 幸村ノ返, 幸村ヲ招, ヲ以テ招, 家康眞田, 幸村マタ, 之ヲ辭ス, 答, 慶長十九年十二月四日, 七二二

頭注

  • 信州一國
  • 幸村ノ返
  • 幸村ヲ招
  • ヲ以テ招
  • 家康眞田
  • 幸村マタ
  • 之ヲ辭ス

  • 慶長十九年十二月四日

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  • 七二二

注記 (25)

  • 1803,632,60,2217に大坂方となりたる故、浪人となりしか、秀頼公へ召出佐れ、大坂へ籠城侍
  • 1104,630,58,2222下にかゝやき給ふ折〓し、大坂を捨て御味方に參り候はゝ、行末を考へた
  • 989,635,55,2217るなとゝ人にもうしろ指をさゝれ、父信幸草の陰にて思ふ所もこれあり
  • 1688,625,57,2223りしを、家康公、かれか器量諸人に越たる事をしろしめされ、叔父隱岐守を
  • 285,635,57,2221又申けるは、士たるものゝ心を變するは義にあらす、若秀頼公御和睦あら
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  • 634,632,59,2222守、再左衞門佐かもとに來り、汝か諸人に越たるをし法しめされ、再御使を
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