『大日本史料』 12編 10 慶長十七年八月~同十八年二月 p.166

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次も其議に伏し〓、をの〳〵そ乃地をまもる、こぞとを、伊賀甲賀の士、彼, 護なところの地にありて、必死を遂むこに、本意ならめとこたふ、康親、重, 〓古城を修補し〓、これを守り、のちヌた康成に屬し、伊豆國柾戸の砦を, をみとゝく〓しとて、暇とらせ、路用をもあたへ〓れは、彼輩おほいに, の志に感し、踏留り〓忠戰をは〓〓すへきよし申とい〓とも、遂にゆよ, し、をの〳〵の父母妻子かの地にあるうへは、速にはせか〓りて、其先途, か〓伊賀甲賀のものともをあつめ、上方乃ありさたきくところのこと, 守衞し、韮山のをさへとれる、十一月、氏直和を請て歸陣のゝち、長茂おほ, 甲斐國新府に御對陣乃とき、相模國のをのへとして、足高山の麓天神川, をつくし、奉公をぬきむつへきむね、誓状を書しむ、このとし、北條氏直と、, さによりす、柾戸より駿河國長久保にいむり、これを守衞す、十八年、小田, やかにいとがとらせむ事を、康成にこふ、康戌其言にし〓か心しかと、面, さす、唯この恩惠をおもはゝ、東照宮、東海道を下らせたあふのとき、忠節, 風聞をきき、所々にあつたり〓、私語するもの多し、長茂これを察し、すみ, 原御陣乃とき、牧野康成は、先鋒〓第二陣たり、山中落城のとき、長茂後陣, 慶長十七年十月二十二日, 長茂ノ恩, 長久保城, ヲ守衞ス, 惠, 一六六

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  • 長茂ノ恩
  • 長久保城
  • ヲ守衞ス

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  • 一六六

注記 (21)

  • 1681,707,57,2147次も其議に伏し〓、をの〳〵そ乃地をまもる、こぞとを、伊賀甲賀の士、彼
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