『大日本史料』 10編 11 元亀3年12月~同年是歳 p.27

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ふ、康安かへりみて、やむをえすして馬よりおりて右衞門七をのす、此時康安十八歳なり、, はして敵陣をうかゞはしむ、信玄陣に二所のかゞりをたいて、きびしくそなへをたてける, 二たひ相たゝかはん事を議したまふとき、忠次と石川伯耆守と相はかりて、ものみをつか, を見てかへり、忠次につぐ、信玄か備堅固にして、やふりがたきことを察して、其むねを, り、郎從康安か馬を引て來る、康安よろこんて是にのりてのがる、時に參州岡崎の町奉行, をいれ、信玄大軍をもつてきそひ來るゆへ、大權現のいくさしりそきたまふ、其夜大權現, ねかはくは康安がのる所の馬をかせ、もしいま我をすくはすんは、康安勇士にあらすとい, 右衞門七膝口を敵につかれて行歩かなはされは、敵追來て、すてに首をとらんとす、右衞, 原に出張の時、大權現發向したまひ、御籏下の兵をもつて信玄の將山縣三郎兵衞をうちや, 門七うしろより大に康安をよばはつていはく、我膝口をつかれてすすみゆく事あたはす、, によりて、矢をすつる事あたはすして、手にもちなから鎗を引て、のかれゆく事一里は, ひきしりぞくこと三町餘、こゝに武田四郎勝頼・馬場美濃守籏をすゝめ、馬をはせて横鑓, 〔寛永諸家系圖傳〕九酒井忠次, ぶりたまふとき、忠次は小山田備中}, をせめやふる、山縣・小山田, 同三年十二月、武田信玄遠州味方, ヲ昌則、四戰紀聞、昌行トナス, 小平次、小五郎、左, ○味方原實記、小山田備中ノ諱, 衞門尉、左衞門督、, (元龜), 岡崎町奉行, 酒井忠次, 右衞門十, 元龜三年十二月二十二日, 二七

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  • ヲ昌則、四戰紀聞、昌行トナス
  • 小平次、小五郎、左
  • ○味方原實記、小山田備中ノ諱
  • 衞門尉、左衞門督、
  • (元龜)

頭注

  • 岡崎町奉行
  • 酒井忠次
  • 右衞門十

  • 元龜三年十二月二十二日

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  • 二七

注記 (26)

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